「めちゃくちゃ好き」と言われないかもしれないが、心に深く刻まれるあの「マーブル転がし」が帰ってくる


 AUTOMATONで公開されているニュースを見て声をあげた。『Marble It Up!』というゲームがニンテンドースイッチ向けに北米でリリースされたというのだ。しかも日本向けにも配信が計画されているという!! 「ウワーーー!」とまんがみたいな声をあげてしまった。

 詳細は前述の記事を見てもらえばいいが、本作はさまざまな色に輝くビー玉を転がしてゴールを目指すアクションゲームである。高速でステージを駆け抜けるアクション要素あり、ギミックを駆使して宝石を獲得していくパズル要素あり、拾ったアイテムを使って飛んだり跳ねたり……。ああ、あの独特な触り心地を思い出す。

 「“あの独特な触り心地を思い出す”とはどういうことだ?」と思うかもしれないが、僕はこのゲームの精神的前作(笑えるワードだ)にあたる『Marble Blast Ultra』をXbox 360で遊んだのである。そちらはXbox LIVE Arcadeで配信されており、Xbox 360を持っていた人ならば記憶に残っているのではなかろうか。


 『Marble Blast Ultra』最大の特徴は、あのビー玉のゴロゴロ感である。ステージを転がっていく時の擦れるような重たい音、ジャンプした時のずっしりした感じ、かと思いきやスゥパァスピーやスゥパァジャンプでとてつもない機動力を手に入れて操るのに難儀する……。メガマァボウのバカみたいな存在感も忘れられない。

 ビデオゲームではあるものの、コントローラー越しに感じることのできたあの感覚はどうしても忘れることはできない。そして、「またあのゲームが遊びたいなあ……」と思うのだ。そのくらい唯一無二と言えるようなゲームで、記憶の片隅に残り続ける操作感覚が特徴の一作なのである。

 ただ正直なところ、『Marble Blast Ultra』はめちゃくちゃ話題になるようなタイプの作品ではない(AUTOMATONにも「知られざる傑作」などと書かれているし)。ゲーム概要を見ればそれも仕方なく、ビー玉を転がすだけのゲームでもあるのは確かだ。それでも精神的続編が出たら声をあげて喜んでしまうし、今すぐに海外版を買ってしまおうかと思えてしまう。遊んだことのあるプレイヤーだけが知っている魅力的なビー玉転がしなのだ。
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やはり俺はゲームの謎解きが嫌だ

謎が謎を呼ぶ

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 『Minit』というゲームを遊んだ。主人公のくちぱっちに似た存在は、呪いの剣による影響で60秒で死んでしまうことになる。この呪いを解くには剣の秘密を解き明かす必要があるものの、しかしすぐに死んでしまうわけだ。ならばと、何度でも蘇り挑むことになる。

 ……いや、今回はゲームのことを丁寧に解説したいわけではないのだ。この作品は『ゼルダの伝説』ライクな2Dアクションアドベンチャーで、各所にさまざまな謎がある。それを解くと新たなアイテムが手に入り、別の場所の謎を解くことができるようになり、繰り返していくゴールへたどり着けるようになるというわけだ。

 しかしながら、謎解きは嫌なのである。なぜ嫌なのか改めて記そう。備忘録として。

謎とその答えが遠くてバラバラ

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 そもそも謎解きとミスリードの違いはなんだろうか。上記画像の場面はいかにも箱を押して先に行けそうである。しかもここを発見した時点では、この先はまだ未知のエリアだ。さあ、うまく箱を押して先に行けるだろうか? そう考えたくなるのも道理だろう。

 しかし箱を押すパズルを解こうとしてみると、そもそもこれは解けないように作られている気がする。何か別のアイテムが必要なのだろうか? あ、60秒が経過して死んでしまった。もう一度しっかり確認してから……。こんなことを繰り返し、無理だろうと判断して諦める。結論からいえば、ここは別の場所で手に入るアイテムが必要なようだったし、そもそも別に通る必要のないところであった。

 この事実を知り、私は落胆した。なぜ(少なくともクリアするまでにおいて)不必要な要素があり、そこでプレイヤーを惑わせるのだろうか。ミスリードになりうるいらない場所は潰すべきだろうし、無駄な迷い方をさせない誘導は必要だろう。

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 そして、謎解きの範囲がわからなくて困ったこともあった。ホテルでは泊まっている客を探すという謎があるのだが、そもそも客がどこからどこまでにいるのかがわからない。コイン集めもあるのだが、それもどこを探せばいいのかまったく理解できず、あてもなくブラブラさまようだけであった。

 客を見つけたと思ったらコイン、コインを探しているのに見つけるのは客。こうなると肩透かしであまり喜べない。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は謎解きが祠の中で完結しているので、あれは簡潔で良いのだなあと思わされた。

 もうひとつ気になったのは、今解けるのか解けないのかわからないということだ。先程の箱の話もそうだが、この手のゲームは新たなアイテムを入手するとできることが増える。その新たにできることで謎が解けるのか、あるいはすでに解けるけどプレイヤーが気づいていないだけなのか。謎の回答よりその前提の部分で悩んでしまう。

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 そうそう、新アイテムを手に入れたあとどこに行けばいいのかわからないのも困る。これで謎が解ける……! と思うもののどこで使えばいいのだろうか。またもや明確な目的もなくウロウロウロウロ。「ここへいけ!」とバカみたいに提示されなくともいいが、事前の探索で気になるところをマップ上でチェックできたりすればいいのに。

 いや、それは単純にプレイヤーがメモを取ればいいのか。謎を解こうというのにメモもなしに挑もうとする自分の甘えということか。

謎解きとは謎解きとは謎解きとは

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 『ゼルダの伝説』シリーズでは謎が解けた時の効果音が心地よいという人がいるそうだが、私はそうは思えない。それは『Minit』で感じたことと同じで、謎を解こうと思ったらそもそもそれは謎ではなかったり、あるいは謎の範囲がわからなくてさまようことになってその先で偶然何かを見つけるもそれは解こうとしていた謎とはあまり関係のないものだったり、もしくは謎の答えを見つけても謎を探すことに苦労したり……。なんだ謎と関係のないところで苦労している気がしてならないのだ。

 例えば、目の前にある鍵のかかったドアを開けようとする。手元にはいくつかの道具がある。これをどう組み合わせれば開けられるか……と思いきや、回り込んだら扉を無視できたり、あるいは遠くに違う道具があってそれが必要だったりするわけだ。ならば違う道具を先に探そうとするもさらに別の扉の関連アイテムが見つかったりして、自分は今何をしているのだろうとばかり思ってしまう。そもそも自分は目の前にあった扉を開けたかったのではないのか?

 これがとにかく徒労感しかないのだ。では、プレイヤーの誘導が非常に優秀であれば楽しめるのかとなると答えはYESで、『Portal』はすごく楽しかったし詰まってもストレスを感じなかった。逆に『ICO』あたりは謎がひとつずつ出てくる(はず。だいぶ前なので記憶が曖昧)だが、答えへの道筋がまったく理解できずまともにプレイできなかった。

 ただ、2Dアクションアドベンチャーで難易度を上げるとなると、謎と答えの距離をあえて離したり、その繋がりを曖昧にすることになるのかもしれない。謎としての歯ごたえを出す、あるいは壮大さを出すとするのならば、全体に大小の謎を散りばめるわけか。

 また、謎解きが嫌なのはあくまで私の好みである。『LA-MULANA』というゲームはかなり鬼畜な謎解きアクションだそうだが、好きだという人もいるし、続編も出ているだろう。『Minit』だって私は嫌だ嫌だと言っているが世間の評判はそこそこ良いほうだ。

 謎解きの謎は理不尽とも思える作りのほうが歯ごたえを生み出しそれを好む人もいるが、しかしながら非常に優秀なデザインであればそこに理不尽さはなくなるということだろうか? よくわからない結論になりつつあるが、ひとまずそれでいい。この記事は所詮、私の備忘録に過ぎないのだから。
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『Detroit: Become Human』のアリスが嫌なヤツに見えてしまう理由を考える

強引にふたつの役割を持たされたキャラクター

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 PS4『Detroit: Become Human』を遊んだ。とりあえずこのゲームに対して語りたいことは、アリスという登場キャラクターがどうしても気に入らなかったということだ。このキャラクター、とにかく嫌味ばかりを言うのである。

 アリスというキャラクターには物語上の役割がふたつある。彼女はカーラ(主人公のひとり)が守るべき存在という設定になっており、父親に虐待されていたことを切欠に家を逃げ出して逃避行を行うようになるわけだ。つまり彼女の第一の役割は、物語の推進力ということになる。

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 それはまったく問題ないのだが、彼女を助けようとすればするほど嫌な思いをする。雨に濡れたのでコインランドリーの服を盗もうとした際に「盗みなんてするの?」と良心に訴えかけてくるのはまだいいが、廃車に泊まろうとすれば「ここで寝るのはイヤ」と文句を言い出し、廃屋で雨宿りをしようとすれば「カーラ、あたしここ好きじゃない」と好き嫌いで物を語り始める。

 物語が後半になり、仲間のアンドロイドが人間に襲われているシーンになるとアリスのワガママは苛烈になっていく。もはや仲間を助けるのが難しそうなので見捨てる選択を選ぶと、「どうして助けないの!? 死んじゃうよ!」などと言うのだ。こんなことを言われた日には相手が少女だとはいえ「お前を助けるためにやっとるんじゃい!」と言いながら育児放棄をしそうになる。

 プレイ中は「子供だから大人の取捨選択を理解できずストレートに言ってしまうのだろう」と思いこもうとしていたのだが、結果的にはそれでも受け入れることはできなかった。最近遊んだゲームの中では『デッドライジング4』のVickに匹敵するほどムカつく存在だと感じてしまったわけだが、よく考えてみるとアリスが悪いのではなくストーリーに問題があるとわかったのだ。

プレイヤーの選択に対して誰かがリアクションをせねばならない

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 『Detroit: Become Human』はとにかく選択肢がたくさんあるゲームで、その選択によって展開が変化するのが特徴となっている。こうなるとプレイヤーの選択に対してゲーム側がリアクションを用意する必要があるのだ(もし選択肢に対してゲーム側から反応がなければ、プレイヤーはどれを選んでも変わらないと思うことだろう)。

 別の主人公であるコナーには相棒としてハンクが割り当てられている。コナーがアンドロイドらしい冷徹な判断をすると人間であるハンクの好感度は下がるし、逆の選択をすれば友情すら芽生える。あるいはアンドロイドたちの指導者となるマーカスにはアンドロイドの仲間がたくさんおり、平和的に行動するか暴力的に行動するかで仲間の評判が変化するし、さらに人間社会の評価すら存在する。

 さて、ではカーラにとってプレイヤーの選択を評価する存在は誰となるだろうか? そう、それは序盤からずっといるアリス以外に他ならない。つまりアリスには、「プレイヤーに判断を迷わせ、そしてその決断に審判を下す存在」という第二の役割もあるのだ。

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 カーラが少女を廃車に寝かせようとしたら? 確かに子守をする大人としてはあまりにもひどい。手を汚してもベッドに寝かせてあげるべきでは、とゲーム側は反応を返す必要がある。危機的状況に仲間を見捨てたら、仕方ないとはいえ誰かが人でなしと怒るべきだろう(アンドロイドだが)。そして、プレイヤーが悪いことをしたらそれを咎める存在がいないと選択の重みがなくなってしまう。そう、この役割をすべてアリスが担うことになってしまったのだ。

 もちろんカーラにも別の仲間がいることはいるのだが、出てくるのが遅かったり選択肢によっては死んだりしてしまう。となると、ずっと一緒にいるアリスがその役割を全面的に引き受けざるを得ない。結果としてこの少女は、「プレイヤーが守ってあげるべき存在なのに、こちらの選択にいちいち小言を漏らす姑のようなガキ」というふうにも見えてしまうのだ。

 もっとこう「ひどい選択をしたあとアリスがその場ではこらえるものの、あとで思い出し号泣する」だとか、「今は仕方ないと理解を示すが、体は恐怖で震えている」みたいな見せ方だったらなあ……、と思うゲームであった。
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『キャンドルちゃん』小さなろうそくが「キャンドルマン」になる幻想的な物語

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 キャンドルちゃん、キャンドルちゃん。いったいあなたはどこへ行くの?

 キャンドルちゃん、キャンドルちゃん。灯台の光にむかってひとりでとぼとぼ歩くの。

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 ……『キャンドルちゃん』というゲームタイトルから伝わる印象はそういうことだろう。本作は中国のデベロッパー「Spotlightor Interactive」が開発したアドベンチャーゲーム。主人公の小さなキャンドルを操作し、明かりを灯しながら暗闇をひたすらに進んでいく。ほとんどその美しい雰囲気を眺めるだけでよく、キャンドルちゃんの目の前にある試練もそう大きなものではない(小さなろうそくにとっては大きいかもしれないが)。

 キャンドルちゃんは小さなキャンドルの男の子。彼は他のキャンドルと異なり、自分の意思で炎をつけることができる。ただ、炎をつけることができるのはほんの数秒だけ。そのわずかな時間を使い、道を照らして先に進んでいく。便りになるのは自分の光と、動かないろうそくの明かりだけ……。

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 本作のタイトルは、英語版だと『Candleman(キャンドルマン)』である。それをあえて“ちゃん”と表現したのは良い判断だろう。キャンドルマンではまるでアメコミのしょうもないヒーローだし、暗闇の中をひとりで歩む「Little Candle」な雰囲気が出せない。

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 しかし、キャンドルちゃんは確かにキャンドルマンでもある。本作では、キャンドルちゃんの挫折と復活の物語が描かれる。本編では己が小さな光に過ぎないことを思い知らされ、しかし追加コンテンツでは地獄から這い上がりなんとか立ち直ることになる。あの“小さなろうそく”は確かに「キャンドルちゃん」だったが、そこから己を知り立派な「キャンドルマン」になったのかもしれない。
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「リズムゲーム」と「リズムゲームではないリズムゲーム」

「リズムゲーム」の違い

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 Nintendo Switch版の『THUMPER リズム・バイオレンスゲーム』をプレイしたのだが、クリアまで遊べず途中で投げ出すことを決意したゲームは久々である。本作は特に不出来というわけではないが(とはいえ目視できる余裕のない壁はムカつく)、では何が気に入らなかったかといえば、リズムゲームだとは思えなかったからだ。

 本作は、輝く甲虫を操作して障害物を避けるゲームである。青い光があればAボタンを押し、左右に壁があればそれぞれの方向に入力し、時にはボスを攻撃するような場面も。うまく操作するとBGMに沿ったプレイになり、リズムに乗れるというわけだ。よって本作は「リズム・バイオレンスゲーム」ということらしい。

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 とはいえ、これがリズムゲームかと言われると甚だ疑問である。おそらくこのゲームは『BIT.TRIP RUNNER』のようなオートラン系アクションの系譜であり、パターンを覚えたり反射神経を活かしてプレイするタイプの作品だ。しかし、僕にとってリズムゲームというのは『リズム天国』のようなリズムに乗ることを重視しているゲームなのである。

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 一口にリズムゲームと言ってもいくつかのパターンが存在する……、というより『リズム天国』が革新的すぎたというところが大きいのだろうが、いずれにせよゲームジャンルというものはひどく曖昧なものである。どちらもリズムゲームではあるが、同じリズムゲームではない。
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