『Detroit: Become Human』のアリスが嫌なヤツに見えてしまう理由を考える

強引にふたつの役割を持たされたキャラクター

kakuyomu_top.jpg

 PS4『Detroit: Become Human』を遊んだ。とりあえずこのゲームに対して語りたいことは、アリスという登場キャラクターがどうしても気に入らなかったということだ。このキャラクター、とにかく嫌味ばかりを言うのである。

 アリスというキャラクターには物語上の役割がふたつある。彼女はカーラ(主人公のひとり)が守るべき存在という設定になっており、父親に虐待されていたことを切欠に家を逃げ出して逃避行を行うようになるわけだ。つまり彼女の第一の役割は、物語の推進力ということになる。

Detroit_02.jpg

 それはまったく問題ないのだが、彼女を助けようとすればするほど嫌な思いをする。雨に濡れたのでコインランドリーの服を盗もうとした際に「盗みなんてするの?」と良心に訴えかけてくるのはまだいいが、廃車に泊まろうとすれば「ここで寝るのはイヤ」と文句を言い出し、廃屋で雨宿りをしようとすれば「カーラ、あたしここ好きじゃない」と好き嫌いで物を語り始める。

 物語が後半になり、仲間のアンドロイドが人間に襲われているシーンになるとアリスのワガママは苛烈になっていく。もはや仲間を助けるのが難しそうなので見捨てる選択を選ぶと、「どうして助けないの!? 死んじゃうよ!」などと言うのだ。こんなことを言われた日には相手が少女だとはいえ「お前を助けるためにやっとるんじゃい!」と言いながら育児放棄をしそうになる。

 プレイ中は「子供だから大人の取捨選択を理解できずストレートに言ってしまうのだろう」と思いこもうとしていたのだが、結果的にはそれでも受け入れることはできなかった。最近遊んだゲームの中では『デッドライジング4』のVickに匹敵するほどムカつく存在だと感じてしまったわけだが、よく考えてみるとアリスが悪いのではなくストーリーに問題があるとわかったのだ。

プレイヤーの選択に対して誰かがリアクションをせねばならない

kakuyomu_top.jpg

 『Detroit: Become Human』はとにかく選択肢がたくさんあるゲームで、その選択によって展開が変化するのが特徴となっている。こうなるとプレイヤーの選択に対してゲーム側がリアクションを用意する必要があるのだ(もし選択肢に対してゲーム側から反応がなければ、プレイヤーはどれを選んでも変わらないと思うことだろう)。

 別の主人公であるコナーには相棒としてハンクが割り当てられている。コナーがアンドロイドらしい冷徹な判断をすると人間であるハンクの好感度は下がるし、逆の選択をすれば友情すら芽生える。あるいはアンドロイドたちの指導者となるマーカスにはアンドロイドの仲間がたくさんおり、平和的に行動するか暴力的に行動するかで仲間の評判が変化するし、さらに人間社会の評価すら存在する。

 さて、ではカーラにとってプレイヤーの選択を評価する存在は誰となるだろうか? そう、それは序盤からずっといるアリス以外に他ならない。つまりアリスには、「プレイヤーに判断を迷わせ、そしてその決断に審判を下す存在」という第二の役割もあるのだ。

kakuyomu_top.jpg

 カーラが少女を廃車に寝かせようとしたら? 確かに子守をする大人としてはあまりにもひどい。手を汚してもベッドに寝かせてあげるべきでは、とゲーム側は反応を返す必要がある。危機的状況に仲間を見捨てたら、仕方ないとはいえ誰かが人でなしと怒るべきだろう(アンドロイドだが)。そして、プレイヤーが悪いことをしたらそれを咎める存在がいないと選択の重みがなくなってしまう。そう、この役割をすべてアリスが担うことになってしまったのだ。

 もちろんカーラにも別の仲間がいることはいるのだが、出てくるのが遅かったり選択肢によっては死んだりしてしまう。となると、ずっと一緒にいるアリスがその役割を全面的に引き受けざるを得ない。結果としてこの少女は、「プレイヤーが守ってあげるべき存在なのに、こちらの選択にいちいち小言を漏らす姑のようなガキ」というふうにも見えてしまうのだ。

 もっとこう「ひどい選択をしたあとアリスがその場ではこらえるものの、あとで思い出し号泣する」だとか、「今は仕方ないと理解を示すが、体は恐怖で震えている」みたいな見せ方だったらなあ……、と思うゲームであった。
このエントリーをはてなブックマークに追加

『キャンドルちゃん』小さなろうそくが「キャンドルマン」になる幻想的な物語

Candlechang_01.jpg

 キャンドルちゃん、キャンドルちゃん。いったいあなたはどこへ行くの?

 キャンドルちゃん、キャンドルちゃん。灯台の光にむかってひとりでとぼとぼ歩くの。

Candlechang_02.jpg

 ……『キャンドルちゃん』というゲームタイトルから伝わる印象はそういうことだろう。本作は中国のデベロッパー「Spotlightor Interactive」が開発したアドベンチャーゲーム。主人公の小さなキャンドルを操作し、明かりを灯しながら暗闇をひたすらに進んでいく。ほとんどその美しい雰囲気を眺めるだけでよく、キャンドルちゃんの目の前にある試練もそう大きなものではない(小さなろうそくにとっては大きいかもしれないが)。

 キャンドルちゃんは小さなキャンドルの男の子。彼は他のキャンドルと異なり、自分の意思で炎をつけることができる。ただ、炎をつけることができるのはほんの数秒だけ。そのわずかな時間を使い、道を照らして先に進んでいく。便りになるのは自分の光と、動かないろうそくの明かりだけ……。

Candlechang_03.jpg

 本作のタイトルは、英語版だと『Candleman(キャンドルマン)』である。それをあえて“ちゃん”と表現したのは良い判断だろう。キャンドルマンではまるでアメコミのしょうもないヒーローだし、暗闇の中をひとりで歩む「Little Candle」な雰囲気が出せない。

Candlechang_04.jpg

 しかし、キャンドルちゃんは確かにキャンドルマンでもある。本作では、キャンドルちゃんの挫折と復活の物語が描かれる。本編では己が小さな光に過ぎないことを思い知らされ、しかし追加コンテンツでは地獄から這い上がりなんとか立ち直ることになる。あの“小さなろうそく”は確かに「キャンドルちゃん」だったが、そこから己を知り立派な「キャンドルマン」になったのかもしれない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

「リズムゲーム」と「リズムゲームではないリズムゲーム」

「リズムゲーム」の違い

thumper_01.jpg

 Nintendo Switch版の『THUMPER リズム・バイオレンスゲーム』をプレイしたのだが、クリアまで遊べず途中で投げ出すことを決意したゲームは久々である。本作は特に不出来というわけではないが(とはいえ目視できる余裕のない壁はムカつく)、では何が気に入らなかったかといえば、リズムゲームだとは思えなかったからだ。

 本作は、輝く甲虫を操作して障害物を避けるゲームである。青い光があればAボタンを押し、左右に壁があればそれぞれの方向に入力し、時にはボスを攻撃するような場面も。うまく操作するとBGMに沿ったプレイになり、リズムに乗れるというわけだ。よって本作は「リズム・バイオレンスゲーム」ということらしい。

thumper_02.jpg

 とはいえ、これがリズムゲームかと言われると甚だ疑問である。おそらくこのゲームは『BIT.TRIP RUNNER』のようなオートラン系アクションの系譜であり、パターンを覚えたり反射神経を活かしてプレイするタイプの作品だ。しかし、僕にとってリズムゲームというのは『リズム天国』のようなリズムに乗ることを重視しているゲームなのである。

thumper_03.jpg

 一口にリズムゲームと言ってもいくつかのパターンが存在する……、というより『リズム天国』が革新的すぎたというところが大きいのだろうが、いずれにせよゲームジャンルというものはひどく曖昧なものである。どちらもリズムゲームではあるが、同じリズムゲームではない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

カービィとカービィの違い 『星のカービィ64』『星のカービィ 参上!ドロッチェ団』

どこか不気味な世界観のカービィ

kirby64_mouse_01.jpg

 2017年は『星のカービィ』25周年イヤーということで、引き続き関連シリーズ作品を遊んでいる。ひとまず手を出したのはニンテンドウ64の『星のカービィ64』だ。この作品は『星のカービィ2』『星のカービィ3』に続く下村真一氏がディレクションするシリーズとなっている。

kirby64_mouse_02.jpg

 『星のカービィ3』はやたらと制限が多くてつらかったが、こちらはいくらかマシだ。コピー能力を二種類あわせて新たな能力を合成するシステムは楽しい……ものの、やはり妙に使いづらすぎる能力があったりするのは相変わらず。収集品も集める謎解きも複数回プレイ前提のようなところがあり、コンプリートする気にはなれなかった。

kirby64_mouse_03.jpg

 また、「リボン」や「アドレーヌ」といった人型キャラクターが世界観に合っていないように思える。これはこの後のシリーズ作品を見ているのからそう思うのかもしれないが、コピー能力の「カッター」でカービィが自分の体をちぎって飛ばしたりする点、そもそもカービィの表情がやたらと邪悪であることなどを顧みても、やはりどこか異質であると考えても良いのかもしれない。


ネタバレ:ケーキを盗んだ犯人はデデデ

kirby64_mouse_04.jpg

 そして、ニンテンドーDSの『星のカービィ 参上!ドロッチェ団』も遊んだ。こちらは比較的近年(2006年)に出たゲームということもあって快適にプレイできて一安心といったところ。本作も収集品集めが前提になっているゲームではあるのだが、どれも難易度が低いうえ取り逃してもステージが短いためやり直しも容易だ。難なくフルコンプできるだろう。

kirby64_mouse_05.jpg

 とはいえ、フラグシップが開発を担当しているためか毛色が違うところがいくつかある。たとえば技の入力がしづらいところ。「ファイア」の突進攻撃を空中で出すにはジャンプしてすぐボタンを押さねばならないし、「アニマル」のドリル攻撃は事前にダッシュを入力していると投げに化ける。情けない話だが、このあたりのチューニングの甘さは今になって気づいた。

kirby64_mouse_06.jpg

 やたらと“属性”を推してくるのも特徴か。「ファイアソード」や「アイスソード」のみならず「ホイール」や「トルネード」は属性に関するものに触れれば攻撃の特徴が変化したりと、このあたりは新しい試みだ。まァ、大して意味はないのでその後のシリーズに続かないのも当然なのだが。

 かつてのカービィを改めて見てみると、すべてまったく同じものでなくそれぞれで表情に差があるとわかる。そういえば、初代『星のカービィ』の顔が怖すぎると言っている人もいたくらいだし、25年という時の中では絶えず変化が起こっていたのだ。そしておそらく、これからも。
このエントリーをはてなブックマークに追加

遊んでいてつらいと思ったカービィははじめてかもしれない 『星のカービィ3』

忘れたままでよかったかもしれないゲーム

kirby3_01.jpg

 そういえばきちんとプレイしたことがなかったような気がしたので、Wii Uで『星のカービィ3』を遊んだ。

 本作は、ゲームボーイで発売された『星のカービィ2』の続編にあたるスーパーファミコン用タイトルだ。「リック」「カイン」「クー」のほか、「ナゴ」「チュチュ」「ピッチ」といった動物の仲間たちと冒険を繰り広げていく2Dアクションゲーム。ほんわかとしたビジュアルが特徴で、一緒に冒険する仲間によってコピー能力が変化するのも独特である。

kirby3_02.jpg

 ところで、『星のカービィ』シリーズはむしろナンバリングタイトルのほうが異色という不思議なゲームタイトルである。スーパーファミコンでは1996年に『星のカービィ スーパーデラックス』が発売されており、こちらのほうはかなりの人気を博していた。一方で1998年に出た『星のカービィ3』はそれに比べるとマイナーで、スーパーファミコン後期にしても注目されていなかったような気もする。

 ナンバリングなのになぜと思っていたが、プレイしてすぐにわかった。本作はディレクターが桜井政博氏ではない(『星のカービィ2』と同じ下村真一氏である)ためか、ゲームの性質がやたら違うのである。そして、遊んでいてつらい。

kirby3_04.jpg

 『星のカービィ3』の特徴は何かといえば、ポップでかわいい(たまに不気味な)世界を多数の仲間と冒険するところであろう。確かにその見た目はいいのだが、むやみに難易度が高い。そういえば『星のカービィ2』を遊んだ時も「なんでカービィなのにこんな無意味に難しいのだろう?」と思ったものだ。

 とはいえ難易度が高いこと自体はいいのだ。問題は難しい理由で、本作はとにかく制約が多いのである。一言で言えば操作性が悪く、ホバリングを解除する際に足を止めなければならなかったり、バーニングは連続で使うとすぐ使い物にならなくなったりする。他にもスクロールは遅いし、ボスは面倒なランダムパターンが多かったりと、むやみに苦労を強いるのだ。しかも、どれも調整不足というより意図的に見えるのが弱る。

 また、仲間キャラクターは癖が強すぎて使いづらいことが多く、コピー能力の選択が面倒なのも相まって、カービィがひとりでスライディングを連打しているのが一番楽だった。ステージ構成もいまいちで、無価値な直線や単調な上下の登り降りでうんざりしたし、黒い扉に擬態する敵、あまり褒められない謎解きなども単純にきつい。何より、過去を尊重しつつ新たな挑戦をしていた『星のカービィ スーパーデラックス』と比べてしまうと、『星のカービィ3』は“惰性で作った続編”という印象を受けてもおかしくないだろう。

kirby3_05.jpg

 無論、遊んでいて最もつらい理由は古いからなのだと思われる。なんせ20年前のゲームなのだから。
このエントリーをはてなブックマークに追加