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角川つばさ文庫『星のカービィ メタナイトとあやつり姫』が渋い、たとえ小学生向け小説としても

『星のカービィ 大盗賊ドロッチェ団あらわる!の巻』

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 以前に角川つばさ文庫から出ている『星のカービィ』ノベライズ本の話をしたが、今回はその続き(第三弾・第四弾)の話をしよう。いやしかし、小学生中級からが対象読者の作品群とはいえ、このシリーズはなかなか面白い。

○ 角川つばさ文庫『星のカービィ』ノベライズ小説(小学校中級向け)をニンマリと読む
http://hakotossdm.blog42.fc2.com/blog-entry-1885.html

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 などと書いておいてなんだが、第三弾『星のカービィ 大盗賊ドロッチェ団あらわる!の巻』のほうは、ややいまひとつな具合であると言わざるをえない。こちらはタイトルのとおり、ゲームにも出てくる盗賊集団「ドロッチェ団」が現れ、カービィたちがそいつらからタマゴを守るという内容である。無論、ゲームの設定を活かした内容や、のんびりとした雰囲気はそのままなのだが。

 何が問題なのかというと、物語展開が強引なのだ。本作では「なぜドロッチェ団はタマゴを狙うのか?」だとか、「どうしてメタナイトがドロッチェ団に協力しているのか?」といった設定に無理があり、最後にその理由を聞いてもあまり納得がいかない。

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 そもそもこの話は、カービィやメタナイトたちがまともに話し合いできれば一瞬で解決してしまうのだ。しかしそれでは物語にならないので、カービィたちは聞く耳を持たないし、話は強引に展開される。とはいえ、結局は話し合いで解決できる程度の問題なので、無意味かつ無理に話が膨らまされた印象を受けてしまうのである。

 なぜこうも無理が生じているのかといえば、これは明確な悪役を立てなかったからだろう。以前の記事にも書いたが、悪役は重大な事件を起こしてくれるし、そいつが倒されれば明確な解決になるわけだ。しかしそのあたりが曖昧になっている以上、話の流れも曖昧にならざるを得ない。

『星のカービィ メタナイトとあやつり姫』

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 というわけで第三弾はやや残念な出来だったのだが、第四弾となる『星のカービィ メタナイトとあやつり姫』のほうはかなり良かった。このシリーズで一番面白く感じられたくらいだ。

 こちらはカービィの友達(なのか?)である仮面の騎士「メタナイト」が主人公の特別編で、姿を消してしまったシフォン星の王女「マローナ姫」を探すという物語になっている。

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 もともとメタナイトは謎のある剣士であり、仮面を被っていることにしても、カービィの敵でもあり味方でもある点にしても、いろいろと主人公向きな面がある。そして、本作はそのキャラクターを活かした物語運びになっているというわけだ。

 剣によるアクションはいつもより激しめであるし、勇ましいメタナイトらしく悪役も強く卑劣な男であり、そして騒動によって謎多きメタナイトの内面が少し描かれていく。舞台はお菓子の国なのに、ややビターな仕上がりなわけだ。

 また、この作品ではカービィが「ピンクの悪魔」と呼ばれるあたりも、メタナイトが主役だからこその展開か。平和でぽよぽよなプププランドのシリーズから少し離れた場所であるからこそ、こうしてメタナイトの渋さが栄える作品になっている。
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角川つばさ文庫『星のカービィ』ノベライズ小説(小学校中級向け)をニンマリと読む

本当は甥に読ませてみようと思って買ったのだが

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 君は角川つばさ文庫から『星のカービィ』のノベライズ本が出ていると知っていただろうか。僕は知らなかったので買った。

 というわけで、今回は『星のカービィ あぶないグルメ屋敷!?の巻』と『星のカービィ くらやみ森で大さわぎ!の巻』の話をしよう。これは前述の角川つばさ文庫の『星のカービィ』ノベル第一弾と第二弾であり、現在は第四弾まで登場している。

 このシリーズの作者は、『グローランサー』や『わがままファッション GIRLS MODE よくばり宣言!』などのノベライズや、ライトノベルなどを手がける高瀬美恵である。なお、このレーベルは主に小学生向けのものとなっており、本作品も例外ではなく。ゲームで興味を持った子供に本を読ませようということなのだろう。

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 ゲーム『星のカービィ』シリーズと同じように、本作はのんびりとした雰囲気のある気楽な本である(ゲームのほうは宇宙の危機なんかも頻繁にあったりするが)。おなじみの食いしん坊「カービィ」が友達の「ワドルディ」と事件に巻き込まれ、「デデデ大王」や「メタナイト」たちも一緒にちょっとした冒険を繰り広げていくわけだ。

 小学生中級からが対象読者なので、字数も少なく漢字はすべてふりがな付きである。それはともかく、「子供向けだから刺激がないのでは……」と読む前は不安だったものの、割と杞憂であった。

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 確かにこの作品、強烈な起伏はないのだが、馴染みあるキャラクターたちの愛嬌はきちんと描けているのだ。食べ物のことしか考えていないカービィ、性格こそ悪いがどこか憎めないデデデ大王、そしてふたりをなだめたりするワドルディやメタナイト。そんなマスコット・キャラクターたちが、穏やかにかわいらしさを振りまいている。

 当然ながらカービィのコピー能力も要所要所で話に絡んでくるし、ゲームの設定を意識した場面もちらりと見えたりする。ちなみに、『星のカービィ あぶないグルメ屋敷!?の巻』のほうではカービィが女装しており(上記画像)、思わず笑ってしまった。

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 また、この作品にもいわゆる悪役が登場するわけだが、その処理の仕方がうまいと感じられた。というのも、悪役は間違いなくあくどいのだが、のんびりとしたカービィが後味を悪くせずにうまく解決するのだ。そのため、事件の問題発生や解決に納得がいき、かつ限りなく明るい雰囲気を持続できているのである。

 堅苦しいことを書いたが、要は「丸くてピンクでぽよぽよなカービィのイメージ」を押し出せている作品である。無論、『星のカービィ』を知らない人に読ませるほどではないし、激しいアクションやシリアスな話とは縁遠い。が、あきれかえるほど平和なプププランドの日常は、確かにこんな感じな気がする。

 さて、続きのほうも買ってみるとするか。

○ 角川つばさ文庫『星のカービィ メタナイトとあやつり姫』が渋い、たとえ小学生向け小説としても
http://hakotossdm.blog42.fc2.com/blog-entry-1886.html
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『スプラトゥーン』褒めすぎ問題。あるいは、感情を素直に吐かないことによる過剰表現の泥沼

負の感情で記事を書くのはよくないこととわかっても

 先日にE3(米国で行われる新作ゲーム展覧会)が行われ、そこで任天堂が『スプラトゥーン』(『Splatoon』)というゲームを初公開した。これはマルチ対戦シューターなのだが、とにかく動画を見てもらったほうがいいだろう。


 インクをぶちまけてどれだけ自チームの色で街を染められるかを競うカジュアルなTPS(三人称視点シューティング)であり、なぜかイカになってインクに潜ることもできるという、ありそうであまりなかったタイプのゲームだ。世間の評判(といってもネットでの評判だが)も良く、僕も発売が楽しみだなと感じた。

 それはいいのだが、そこからが困った。というのも、本作を過剰に褒めている人が出てきて嫌な気持ちになるのである。まだ出ていないどころか初発表のゲームなのに……。これは発売前のゲームを無意味に叩きまくるのと同じくらいに嫌だ。

 まァ、それは僕が我慢すればいいだけの話なのだが、褒め言葉はいい加減でも許されることが多いのは問題だろう。相手をむやみに持ち上げて事実との落差を作ることにもなるし、下手な褒め方をすれば天狗になる人もいる。しかし、それでも過剰な褒め言葉は止まらない。

書き始めたのはいいが、書かないほうがよかった記事な気もする

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 とりあえず、あの記事のこれは褒めすぎだということの明言は避けておこう。そもそも実際に製品版がどうなるかわからないのだから、あれこれ言っても仕方がない。それに期待することは否定するつもりがないというか、僕だって楽しみにしているゲームだ。しかし、まだ定まっていないであろう部分を褒めてどうするのだというわけである。

 とはいえ、これはゲームだけの問題でない。たとえば、あの芸能人がとても良いことをしただとかいうデマがFacebookなんかで広がっていると以前に話題になったが、アレに似たものがあると考えている。否定は第三者から否定されやすいが、肯定は否定されづらいのだ。

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 『スプラトゥーン』は対戦ゲームなので、そもそも人が集まるかどうかという課題がある。また、4対4なのでひとりに必要な技量が大きくなる(大人数対戦ゲームになればなるほど、ひとりあたりに必要な技量は減る)わけで、その基本的な部分をどう解決してくるのか? というのも気になるわけだが、僕の見た過剰な褒め記事ではそのあたりに触れられていない。

 そもそも初発表なのだから詳細についてはこれから決められるわけで、今の時点で言えることは今後に期待できるというくらいだ。しかし、既にすごいゲームだと褒めきってるような文章が目につく。こういうことを言うと「盛り上がってるのに水を差すんじゃねえ!」と返されることを経験しているのであまり言いたくないのだが、それでもやはり無闇に褒めるのは無責任だろう。

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 おそらく、書いている側も問題を起こしたくて書いているわけではないはずだ(と思いたい)。E3の盛り上がりを見て文章を連ねていくうち、自身の中にある盛り上がりに正当性を持たせたいがために表現が過剰になり、それが結果として無茶な褒め言葉になったのではないか。(過剰な否定にも似たような構造があると思われる。)

 しかしながら、落ち着くべきである。あるいは、落ち着かないにしても素直になるべきではないか。動画を見て面白そうだと思ったのなら、「面白そう!」とだけ口にすればいいことではないのか。すごいアイデアになりそうだと思ったら、「すごいアイデアになりそう!」と言うところで止まり、妄想に足を踏み入れなければいいのではないか。

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 何かを感じた時、それは立派な文章となって脳内に現れるわけではない。感覚という曖昧なものでなんとなく感じるわけであり、それを文章に変換するうちに余計なノイズが混じってくるのだ。

 そもそも自身の感情や感覚を表現するために文章を書いたりするのに、文章を書く工程で生まれる要素が感情を大げさにしたり、逆に感情を食ってしまうのは問題ではないのか? ……こう書いても仕方ない気がするのに、書かずにはいられなかった。
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「INDIE STREAM」というパーティーで、果たしてインディーとはなんぞやと思う

珍しくお外に出て社交をしてきた

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今回は、こっそりとIndieStreamに参加してきたというお話

 東京ゲームショウ2013が終わりを迎えた9月22日、「INDIE STREAM」という交流パーティーが行われた。

 これは、『LA-MULANA』を手がけたNIGOROと、『TENGAMI』を手がけたnyamyamが主催となり、インディー作品をローカライズ・発売しているPLAYISM、そしてソニー(SCEJA)と協力して行われたインディー系開発者・メディアと協力してインディー界隈を盛り上げていこうという交流パーティーであった。

 ……という書き出しをすると、まるでレポートをするかのような流れだが、このサイトは基本的にXbox360についての情報を書く場なので、PS Vitaで『LA-MULANA』が出るだとか、PS3・Vitaで『マシナリウム』が出るだとか、そういうことは各メディアに任せておこう。

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これで『メゾン・ド・魔王』が更に人気になってほしい

 ではなぜこの記事を書いたのかといえば、Xbox360インディーズゲームでも好評配信中の『メゾン・ド・魔王』がSteamでの配信が決定したという告知が、このパーティーであったからだ!

 なお、SteamにはGreenlightというユーザーの投票を集めて配信する作品を決めるというものもあるが、今回はそれを通さずにリリースすることが決まったのである。つまるところ、作品の質を認められたということでもあるのだ。まったくもっておめでたい。ついでに、この記事を書いている最中にXbox360インディーズゲームでも英語版の配信が開始され、めでたすぎるのなんの。

インディーとはなんぞや?

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パーティーはソニーの食堂で行われたので、照明がボタンの形である

 ところで、少なくとも日本ではインディーというのはあまり大きな存在ではなく、こういう形で盛り上げようと協力するというのは非常に良いことである。それは間違いない。

 しかしながら気にかかるのは、その「インディーとは一体なにか」ということである。この場で考えれば独立系グループの作品といったところだろうが、おそらく周囲は違う。開発者にはプロの方もたくさんいるのに素人が多いと思っている人もいるし、そこを見すぎて“同人”とはまったく違う存在だと主張する人もいたり、もしくは単に商業未満のものだと思い込んでいる人もいる。

 その定義は考えても無駄だろうが、とりあえず、このパーティーが言っているインディーとはなんなのかというと、それはおそらく、この場に集まっている(あるいは将来的に集まることになる)人たちのゲームのことだろう。

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国内からインディー作品を展開するとなれば、PS4が強いというわけだ

 PLAYISMとソニーが協力することにより、非法人のデベロッパがPS4で作品を出せることになり、かつインディー系開発者やメディアが繋がりを持つことによって、まとまった力を発揮できる。今回のパーティーで発表された構想がそれだったわけだが、素晴らしい話であろう。

 それでも僕がどこか気にかかるのは、やはりインディーというものは一口に言ってもさまざまだからだ。たとえばXbox360インディーズゲームを見ると、日曜プログラム的なノリで作られた作品もインディーだし、商業作品の後塵を拝しまくって儲けを狙った作品もインディーであるし、無論、独立して自分たちなりの素晴らしい作品を作っているのもインディーである。

 この「INDIE STREAM」はインディーを応援するといえども、やはりこの場に関わることのできる作品が対象となるはずだ。となると、漏れた作品が気にかからないのかと言われれば、そんなことはないと言うべきだろう。

 こう考えると、単純な考え方に切り替えたほうが良いように見える。つまり、モノの立場を考えないということだ。作品の規模が大きかろうと小さかろうと有名であろうと無名であろうと、たとえばこのINDIE STREAMの中であろうとそこから漏れる作品であろうと、さまざまな角度から良い作品に見えるものを、よりうまく人と共有できることが最も良いのでは──と思わされたのであった。
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スリムかつ明確な戦闘がウリに見えるが、実は平均的に優等生なRPG 『ふしぎの城のヘレン』

たまにはフリーゲームの話でもしよう

 ここ最近はXbox360で遊びたいゲームがないので、何か遊ぶものがないかと飢えている。すると、「PLAYISM」で『ふしぎの城のヘレン』という作品を発見して興味を持った。

 ましてや本作、PC向けフリーゲームなのでなんとはなしに手を出すには持って来いである。そして遊んでみれば、こうして記事にしたくなるほどには楽しめたのだ。

 さて、『ふしぎの城のヘレン』はRPGツクール2000で制作されたスリムで明確かつ平均点の高いRPGである。制作者は「さつ」さん。なお、2011年の作品とのこと。

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『ふしぎの城のヘレン』タイトル画面

運の要素が排除され数値が明確な戦闘が特徴だ

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はじまりはのどかな一軒家から

 主人公であるヘレンは、兄と一緒に暮らすエルフの少女である。彼女は言葉も喋れなければ、記憶もなく、ただ毎日を平穏に過ごしていた。しかし、ある日に突然、彼女は外の世界を見たくなり、旅立つことを決意したのであった。……というような導入である。

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明確な意志を持ってコマンドを選んで戦うRPGである

 先にRPGと書いたように、本作はダンジョンを探索して、敵と遭遇したらコマンドを選択して戦うオーソドックスなゲームである。しかしこのすべてが明確な戦闘が最大の特徴だろう。実は本作、要素が少なく隠された数値などもなく実にわかりやすいのだ。

 たとえば「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」の場合、戦闘時の行動順やダメージというのはおおまかに決まっていてもランダムの要素が入ったりするし、隠された要素(属性や状態異常の耐性)も多い。要は、見える要素が多すぎると混乱するので、ある程度はファジーな調整で遊びやすくしているのである。

 しかし、『ふしぎの城のヘレン』は違う。まず、行動が開始されるカウントはお互いに表示されるのでどちらが先にいつ動くかわかるし、ダメージは事前に提示された要素でどんな数字が出るかわかるし、その結果にはランダムな要素が挟まれない。そのため戦闘は詰将棋のようになり、論理的に戦う緊張感を生み出しているのだ。おそらくそれは、ファジーな大作RPGのカウンターという意味もあって強く感じられるだろう。

平均点が高いと言うべきか、器用貧乏と言うべきか

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どの武器を鍛えるかもポイントとなる

 もっとも、本作はガチガチの戦略RPGというわけでもなく、救済要素も豊富に用意されている。敵にやられれば最大HPが増やせるし、雑魚と戦い経験値を溜めて武器を強化することもできるうえに、終盤になるとほとんど救済措置に近い装備も登場するのだ。

 ……と良い風に紹介したいところなのだが、実はこれには問題がある。というのも、序盤こそ詰将棋のような戦いができる本作だが、後半になって数値が大きくなるとだいぶ大味になる。更に、敵パターンが固定だと作業になり、敵パターンにゆらぎがあると運の要素が出てくるという、ほとんど最初の理念が崩れる形になっているのだ。

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ふしぎな城を取り巻く話も要素のひとつではあるのだが

 それを考慮しているのかしていないのかは知らないが、本作は先に進むたび物語の要素が強くなってくる。基本的にはヘレンを取り巻く環境の秘密が明らかになるのだが、最終的には戦闘もそれに引っ張られてイベント用のまず勝ちが確定したものになっていく。

 となれば、物語が主体のゲームとして価値を見出せれば良いのだが、これもそこまで効果的ではない。そもそも、全体を通しても5時間程度と尺があまり長くないこともあってか、物語はこれといって際立つものではないだろう。もっとも、RPGにおいて定番な添え物としては悪くないのだが。

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ウィンクしたり走るヘレンは愛嬌たっぷり

 さて、ここまで書けばわかるかもしれないが、本作は良く言えば全体的に質が高く、悪く言えば器用貧乏なのである。他にもこういった要素は多く……。
  • ヘレンのアニメーションは特によく出来ており、表情豊かでキャラ設定的にもブロンドのエルフ(更にケツもでかいらしい)とおいしい面が多い。が、彼女はほとんど喋らないし立ち絵もなく、キャラ萌えとしてはどこか物足りない。
  • そして、ダンジョン内に謎解き要素を入れて緩急をつけてはいるが、そもそも目的地が明確でなかったり、強引な謎解き(ほぼノーヒントの隠し通路を発見するなど)がある。
  • また、所々に入るギャグも良い添え物になっているが、それが主体なわけでもなし。
 このように、良い部分もあれど問題もあるということばかりなのだ。なぜこう見えてしまうのかといえば、それは本作がどれもこれも手に取ろうとしているからだろう。おそらく何かひとつに特化してモノになっていれば、欠点などあっても見えなくなってしまうはずだ。

『ふしぎの城のヘレン』はフリーゲームであればかなり優秀だろう

 よって、僕からすれば「心地よく遊べはするが、どこか物足りない」ように見える『ふしぎの城のヘレン』なのだが、本作がフリーゲームということを考えれば、これは良い方向に転がるだろう。

 当たり前だが、フリーゲームはPCさえあれば遊べるという取っ付きの良さが素晴らしい。そのため、普段はあまりゲームを遊ばない人もプレイすることが多いはずだ。そして、そういう強い刺激に慣れていない人から見れば、『ふしぎの城のヘレン』はどこを見ても高品質のRPGに見えると思われる。

 もっとも、個人的には本作が“ガチガチの戦略を組む戦闘がウリのRPG”に見えたので、理念がブレていく様は至極残念であったと言っておきたい。それでもクリアするまで余計なことを考えずに遊べたのだから、『ふしぎの城のヘレン』が平均的に優秀なRPGであることは疑う余地がないだろうが。
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