ひどいゲームを褒めるための定型文

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とにかく褒めときゃいいんだよ

 昨今のインターネット上には乱暴な言葉が多く存在しているが、それはゲームのレビューや感想においても同じである。まったくもって、ひどい有様だ。

 しかも、そういった言葉は人を傷つけてしまう。単なる独り言や友人との会話で言うならまだしも、今やエゴサーチなどで本人がその話を見てしまう可能性だってある。

 ここで一つのエピソードを話そう。とある教授の方が、同業者の方に論文を途轍もなく理路整然と否定的に批判されてしまった際、あまりに思い悩んだ結果自殺してしまったということが僕の知人の傍であった。きつい言葉は時として悲惨な結果を生んでしまうのだ。

 あるいは、迂闊にひどいことを書いては逆恨みされるかもしれない。嫌われるだけならまだいいが、うっかり職場や学校のことがバレて周りに文句を言われたり、もしくは直接こちらの情報を調べてきて暴力を振るってきたり、刃傷沙汰になる可能性すらある。相手は何でどこまで怒るかわからないだろう。

 よって、安易に「つまらない」だとか「クソ」だとか「ファック」だとか「面白みは皆無」などと言ってはいけないのである。そのため、ゲームを遊んだ結果や感想を文章に記して公開するのであれば、必ず褒めるべきだ。しかし、残念なことにすべてが面白いゲームというわけではない。だがそれでも褒めねばならないわけで、今回は、主観的にひどいと思ってしまったゲームをなんとか褒める方法の雛形を紹介してみよう。ただし、僕の技術はかなり稚拙なので、そこは考慮しておいて欲しい。

褒めれば世界がみんなハッピーでラッキーで嬉しいーッ

 さて、クソのようなゲームは色々とあるが、まずは大雑把に6つに分類してからそれぞれの対応を考えよう。
  • 時代遅れなゲーム
  • ユーザーに不親切なゲーム
  • ブランドや流行だけで売っているゲーム
  • アイデア倒れなゲーム
  • 既にプレイヤーからひどい評価を受けているゲーム
  • クソの塊なゲーム
○ 時代遅れなゲーム
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温故知新は確かだが、面白いかはどうか

 ビデオゲームにおいて、時代に合っているかは非常に重要な問題である。例えば、ファミコン時代であればひどく単純なゲームでも許されたが、今の据置機のゲームとしては力不足だろう。あるいは、ジャンルにおいて何か大きな作品が出て基本形が変わった場合、それ以前の作品として開発されていたゲームは古くなってしまう。こうなると、時代に合っていないゲームは面白くなくなってしまうのだ。

 これに関して褒めるのは簡単だ。今やレトロゲームというジャンルがあるわけで、古かろうと楽しめる人はいるのである。故に、「トレンドからは若干ずれるかもしれないが、気楽に安定して楽しめるだろう」などと書いて茶を濁せば良いのだ。誰もが新しい刺激を求めるわけではないという詭弁を使うのである。

○ ユーザーに不親切なゲーム
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いや、どちらも本当は良いゲームなのだが

 どんなに素晴らしいルールを持ったゲームでも、ユーザーに不親切では遊ばれない。分厚い攻略本がなければまともにプレイできないRPGなど投売りされるのも当然なわけで、これらもまた、理解できなければ面白くなくて当然だろう。

 そして、これもまた賞賛するのは容易である。「ついていけないプレイヤーもいるだろうが、開発者の想像した真意を知れば楽しめる」と言えばいいのだ。実際に隠された面白さがなくとも、通ぶっておけばいい。お前らがわからなくてもわかる人だけがわかると言っておけば、ウソを言ってることにはなるまい。

○ ブランドや流行だけで売っているゲーム
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いやホントにこの画像は文章と関係なくてですね

 売れるゲームというのは必ずしも面白い作品ではなく、むしろ宣伝やブランド力が物を言うことになる。シリーズで作品が展開されていくのは、それが嫌でも安定して売れるからだ。また、流行しているゲームの二番煎じが出るのは、これは東洋・西洋を問わず普遍的に見られる現象である。こうなると、それに乗じたひどい作品が出てくる。

 しかし、これを称えるのはかなり簡単である。なぜなら、そういったブランド・亜流作品はそれだけで良い点を持つからだ。ファンがいるということはそれに対する需要が高まっているわけで、単純にコピーしたような作品でも、欲しがる人がいるのは事実だろう。

 また、亜流でも元のゲームの構造的欠点を修正したり、味付けを変えてより馴染みやすくすることをしている作品だってあるわけだ。何なら、そのままでもいいから二度・三度と出すことによって、今までその手の作品に触れたことがない人に体験させたという意味で価値があるといえる。これは詭弁でも何でもなく、事実だろう。

 この場合、「シリーズのファンなら買い」だとか「(ジャンル名や他作品名)が好きなら楽しめる」と言えばいいのである。もしくは、「今までこの手のゲームを体験したことがなければぜひ」と言っておけばいい。流行っているという事実があるなら、褒め言葉を出すのは簡単だ。

○ アイデア倒れなゲーム
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「アイデアは良い!」は褒め言葉ではない

 「時代遅れなゲーム」と通じるところもあるが、ビデオゲームというのは基本的に新しいアイデアや新システムがウリとなる場合が多い。しかし、この手の売り文句の連中は問題を孕むことが多く、売り出すために適当な既存システムの名前を変えただけだとか、そのシステムに拘りすぎたせいで妙な作品になることがある。

 この場合、その倒れたアイデアを褒めてはならない。誰がどう考えたって、そこを褒めるのは無茶だからだ。故に、「新しいものに挑戦する気持ちは素晴らしい」とシステムそのものでなく、開発の心意気を褒めておけば問題はない。実際にゲームが面白いといっているわけではないが、褒め言葉にはなるだろう。

○ 既にプレイヤーからひどい評価を受けているゲーム
 既に発売されているひどい作品は、ユーザー評価が固まってしまっている場合がある。これを褒めるのはひどく大変で、迂闊に褒めれば書き手の神経を疑われてしまうのだ。

 この場合、「賛否両論だが良い面を持ち合わせているゲームだ」と言えばいい。つまり、自分はさておき、楽しめる余地はきっとあるということにするのだ。

 例えば、誰か一人でも「まァ、このゲームは結構楽しめたよ?」といい加減に言ってしまい、且つそれを正確な数にせずそこそこいると思わせればそれは“賛否両論”なわけで、これほど便利な言葉もなかろう。事実、グラフィックだろうと音楽だろうと良い点が1つでもあれば、それで気に入っている人がいると適当に作ってしまい褒められるようになるわけである。

○ クソの塊なゲーム
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恨み辛みを書いたらとまらない

 ここまではある程度良い箇所が見られなくもないゲームたちを取り上げてきたが、世の中には本当にどうしようもない作品が存在する。四角くて黒いブロックを赤いブロックにぶつけるだけだとか、画面が赤・青・黄と高速に切り替わるだけのミニゲームだとか、罵倒の限りを尽くしてクソだと言ってやりたい作品もあるのだ。

 これに関しては、もうどうしようもない。主観としてもつまらなく、客観的に自分以外の誰かが楽しめるとは口が裂けてもいえないだろう。それならば、もっと遠いところで褒めればいいのだ。

 つまり、「ゲーマーではない人々に受け入れられる余地はあるだろう」と責任を他に丸投げしてしまうとか、「今の時代は受け入れられないだろうが、時間さえ経てば評価されるであろうゲーム」と時を越えた先で褒めればいい。もしくは、「これはゲームとしては問題こそ残るものの、メッセージ性が強い作品である」と言っておけばいいのだ。何なら、メッセージ性を適当な横文字に変えて、煙に巻くのもアリだ。……だいぶつらいが。

うっかりしてしまった

 様々な褒め言葉を考えてみたが、これらにはある共通点がある。要は、評価軸をズラせばいいのだ。そして、自分の主観や褒めるプレイヤーの少なさといったマイナス要素を徹底的に隠す。こうすれば褒め言葉になるのである。

 つまり、誰が求めているのか、そして社会やプレイヤーはそれをどう受け止めたのかといった部分をあえて無視するのである。あまりにも主観的に感想やレビューを書くのと同様に、多面的にものを見ないのだ。そして、問題には蓋をしてしまえばいい。もっと簡単にいえば、「楽しいと思う人がいる(であろう)からこのゲームは楽しい」と言うのだ。

 逆に言うと、褒め言葉も貶し言葉も評価軸さえずらしてしまえばどうとでもなるということだ。結局、どんな言葉も書き手が意図して設定する位置によって変化してしまうのである。問題は、それらを語る言葉が論理的かどうかだろう。そういった文章を読む側としては、文中に面白いと書いてあるかどうかではなく、その理由がまともかどうか見なければならないのだ。

 また、禁断の方法として「面白くないと思ったのに、面白いと嘘をついてしまう」というものがある。これほど手っ取り早い話はなく、今までの長い文章など読む必要はないことになるだろう。

 だがしかし、そうして書いた文章に意味はあるのかという話になってしまう。基本的に感想やレビューといった文章は、主観に基づいて肉付けされる話なわけで、その前提条件が崩れてしまった時点で話がおかしなことになる。言うなれば、炭酸が入っていない炭酸水のようなものだろう。

 果たして、何のためにゲームの感想やレビューを書くのか。それを考えるたびに、こういった腑抜けた文章の周囲に暗雲が垂れ込めているように思えるのだ。

 ……ああいやそうでなくて、うまく褒め言葉を使って、それを読む人の気分を良くさせようという話だった。ともあれ、書き方を知らない人はこういった方法を使うといいだろう。もっとも、僕が知っている方法はかなり稚拙なので、あっさりと見破られるだろうが。この辺りはものを書くのがうまい人に教えてもらいたいところだ。

 しかし、褒め言葉は適当でも人の懐にうまくもぐりこむものである。やりすぎなければ。
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コメント

慇懃無礼とはこれいかに。
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