なぜ、あなたはビデオゲームを選ぶのですか

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疑問の追及

 なぜこうもビデオゲームばかりをやっているのだろう。ふと、そう思う。

 思えば、僕の人生はビデオゲームをプレイしている時間が多かった。運動神経の欠けていた僕は、子供のころから外で遊ぶよりコントローラーを握っているほうが数十倍も楽しめたのである。

 しかし、選択肢が少なかった当時はまだしも、今はどうなのか。子供のころに比べれば出来ることは増えたし、やるべきことも増えた。だが、それでもビデオゲームばかり遊び続けている。

ビデオゲームがそんなに素晴らしいものなのか

 まず、エンターテイメントだからだとか、暇つぶしだからだとか、そういう答えになっていない答えはいらない。もし世界からビデオゲームがなくなったとしたら、映画だって小説だってテレビなりで代替することは出来るはずで、楽しみを感じることも出来るはずだ。その中で、なぜゲームを選ぶのか?

 ゲームが絶対的に素晴らしいものなのか。よく言われることに「ビデオゲームは操作するからこそ楽しみがある」という言葉がある。しかし、個人的にはこの意見には懐疑的だ。無論、操作が楽しいゲームというのは確実にあるが、逆に紙芝居のようなノベル系アドベンチャーゲームもあるし、ムービーを眺めることが中心の作品だってあるし、僕はそれも楽しいと感じる。

 そもそも、僕の中でゲームに絶対的な優位性があるのか? いや、映画はあまり見ないが物によればすごく楽しめるし、アニメだって小説だって肌に合った名作を選べば興奮できるのだ。必ずしもビデオゲームである必要はない。

死が分かつまでビデオゲームを愛しているのか

 それならば、ビデオゲームが好きなのか。あるいは、愛しているのか。いや、そんな歯が浮くようなことは言えない。

 ゲームからは楽しい体験や興奮する出来事、そして仲間を作る切欠をもらった。しかし、同時にとてつもない不快感やイラつきをもらったこともあったし、ゲームが好きだと言ったせいで明らかな損失をしたこともある。

 ビデオゲームを正負の二極で見た場合、僕の中では明らかにどちらも沢山存在している。最高のゲームをやった時は薬でラリったかのような気分にもなるし、リコーダーの中に溜まった腐った唾液のようなゲームをやった時はもうひどい気持ちになる。そして、酒の席でしつこく語りたいゲームに関する良い思い出もあれば、今すぐ脳みそに指を突っ込んで消したい嫌な記憶もある。決して良いことばかりではない。

 よって、「愛している」などとは言えないのだ。そもそも愛という言葉が何を指し示すかわかりにくいということもあるが、ビデオゲームというカテゴリに慈しみがあるのではない。あったとしても、それは特定タイトルに対してである。むしろ、かつて愛していたが別れた存在みたいなものか。ヨリは戻しているが。

 唯一わかることは、屈折した思いがあるということくらいのものだ。

答えはいずこに

 ここまで来ると、ひとつ嫌な答えが脳裏に浮かぶ。つまり、僕はゲームを選んでいるのではなく……。情けなくて悲しい結論だ。

 しかし、明確にビデオゲームを選ぶ理由を持つ人などいるのか。何なら他のことでもいい。自分のいる場所がそんなに心地が悪くないのであれば、わざわざ外に出たりしないものなのではないだろうか。結局、出不精で面倒くさがりはどこでもこんなものなのかもしれない。

 楽しいからだとか好きだからとか、そういうのを超えた泥沼にハマっているような感覚を覚える。ゲーマーとかゲオタというより、単純に手からコントローラーが外れにくいだけの人なのかもしれない。
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