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入れ子の中の心地良さ

経験値稼ぎが快感に変わる瞬間

 最近はPSPの『パタポン 2』を遊んでいる。パタポンというキャラの育成をしつつ敵と戦うゲームなのだが、収集と育成の要素が奥深い。素材や装備を集めて彼らを強くするのだが、そういうことをしているとゲームの進行など無視して、鍛え続けるということになってしまう。

 これは『悪魔城ドラキュラ X 月下の夜想曲』だとか『悪魔城ドラキュラ HD』にも近いものを感じる。……というよりかは、ビデオゲーム全般でよく見られる光景だろう。よって、記事として記録する。

 さて、多くのゲームは開始してすぐプレイヤーに目的と手段を与える。例えば『スーパーマリオブラザーズ』であれば、ピーチ姫がさらわれるので救わねばならず、そのためには道中にあるステージをクリアしていかねばならないわけだ。

 ただし、育成や収集要素が重視されている作品は、その手段のために更なる手を打たねばならないことがある。どういうことかまとめてみよう。まず『スーパーマリオブラザーズ』の場合は次のようになる。
  • 目的(ピーチ姫がさらわれるので救う。)
  • 手段(ステージをクリアしなければならない。)
 これは至極単純な構造であり、もっともわかりやすい。目的が明確な場合はプレイヤーが何をすべきかわかりやすく奮起しやすいし、手段もわかりやすければ放棄することも少ない。

 一方、育成や収集要素が重視されているものは、手段の部分が凝っている。
  • 目的(ゲームをクリアする。)
  • 手段(強い装備や仲間を手に入れる。)
  • 更なる手段(装備や仲間のために素材や金を手に入れる。)
 要は、二段階目の手段が第二の目的にもなる入れ子的、マトリョーシカ構造とでも言うべき作りになっているわけだ。一々こんなことを言う必要もないだろうが、段階的に目標が設定されている。

 ただ、不思議なことに、こうして段階的な構造をしていると、一番最大の目的を忘れてしまうことがある。むしろ、ゲームによっては意図的に忘れさせることすらあるし、ものによっては二段階目を最大の目標にさせることすらあって、なんとも複雑といえよう。

 手っ取り早く言えばふとRPGのレベル上げに熱中してしまうもので、本来は魔王を倒すためにレベル上げをしているのに、いつの間にか装備を揃えたりレベルを上げること自体にハマってしまう現象と同じである。そして、そのうちクリアすることがどうでもよくなったり、自分が何をしているのかわからなくなるアレだ。

 個人的な例を挙げさせてもらうと、これは過去に『Final Fantasy Tactics』というSRPGで体験した現象である。僕は汎用キャラクターを鍛えるために何十時間も費やし、いよいよそれを最強にすることができた。……が、実際に話を進めてみれば最強になったキャラはバランスを崩壊しまくりで、なんら楽しくなかったというのだから呆れる。すっかり手段と目的が摩り替わり、何を目指していたのかわからなくなっていたのだろう。

無駄があってもいいじゃない

 まァ、これはゲームだけの話ではなく、人間の性質と言ってもいいのだろう。人間というものが近視眼的な生き物……というか、長い先のことを考えるというのが複雑で難しいだけか。そして、これは他の場所において「手段と目的の入れ替わり」などと言われて非難されることもあるが、ビデオゲームに関しては多くが遊びなので問題ない。そもそも、ゲームを遊ぶのは生産的なことをするためではないだろう。

 ところで、先日「なぜ、あなたはビデオゲームを選ぶのですか」という記事を書いたのだが、この話がここに繋がってきそうなのだ。このマトリョーシカ構造が似ているのである。

○ なぜ、あなたはビデオゲームを選ぶのですか
http://hakotossdm.blog42.fc2.com/blog-entry-1099.html

 なぜ数ある娯楽からビデオゲームを選ぶのか。本当のところは選んでいるのではない。最初こそ「暇を潰したい」だとか「新たな楽しみを見つけたい」という意味でビデオゲームにのめりこんでいた僕だが、いつしかその目的をすっかり忘れ、ゲームを遊ぶという手段が目的になったり、あるいはゲームを遊んだ副産物として感想やレビューを書くこと、そしてそれを知人・友人と共有すること自体が目的になってしまったのかもしれない。

 前述のように、これはこれで問題がない。そもそも非難されようとも、誰であろうと似たようなことはやっているはずだ。人間は常に目的に向かって邁進していては疲れるし、自由があるのならばだらだらし続けていたとしても文句はなかろう。むしろ、摩り替えるべきではないと常々言われるのであれば、それは多くの人が常に摩り替えている証左なのかもしれない。

 よって、おそらくこれは心地良いのである。はぐれメタルをひたすらに潰すことや、素材を無心に集めること、装備が出るまで同じ敵を何度もしばいてやることは、特に何もせずぼんやりと空を見上げることに似た曖昧な心地良さがある。

 おそらく、僕はそこに惹かれたのではないか。これではまるで自身が堕落した人間だと宣言しているようなものだが、そんなことは今更言う必要もない。

 こういった曖昧な心地良さを形にしやすく、娯楽として手に取れるのがビデオゲームの魅力のひとつなのかなァなどと、くだらないことを考えながら素材を集めていた。ただひたすら曖昧に。
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