エミュレーターはゲームを完全に再現できない

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体験や背景が違う

 こういうタイトルを書くと勘違いで反論されそうなので注意書きをしておくと、ゲームにおける再現性の話をしようというのではなく、エミュレーターではゲームをプレイする環境までは用意できないという話をしたいと考えているわけだ。

 念のため解説しておくと、エミュレーターとは模倣ソフトウェアのことである。つまり、特定のハード以外でゲームを動かせるようにするソフトなわけだ。ゲームにおいては、パソコンやらPSPやらで別ハードのソフトを遊べるというものである。場合によっては違法になることも。

 先日AVGNという人物が、エミュレーターを使用しては本物の体験はできないというようなことを言っている画像を見た(Tumblrで見られるリンク)。言っていることは至極尤もだが、まァ動画で実際はどういう話をしたのか、どういう経緯で話したのかわからないので何ともいえない。

 ともあれ、エミュレーターはゲーム内容を再現こそするが、それは完全ではない。どれだけ精巧にできていようとも、本家のものでやっている人と体験の差が出てくるのは当たり前だ。理由は次の2つである。
  • 条件が違う
  • 背景が違う
 まずは条件。コントローラーが違う、動かしているハードが違う、チートやステートができる・できない等、操作感覚や内容に差異が出てくる。これは言うまでもないだろう。

 そして、背景が違うということ。多くのプレイヤーは小売店なりネットショップで注文をして、親にねだるなり自分の財布と相談するなりで金を払い、そしてハードやパッケージを手に入れてゲームを遊ぶという経緯がある。一方、エミュレーターの場合はネットで落として終了ということも有り得るだろう(無論、ソフトを普通に用意することもあるだろうが)。

 この経緯の違いというのは大きい。作品を通したコミュニケーションや経験もまたゲームの一環である。ボードゲームやトランプゲームで考えれば、一緒に遊ぶ友達を集めることからだって大事な要素であろう。モノが品薄で並んで買わなければならなかった場合も話が違う。ムーブメントがあったのならば、それに乗れるかどうかも違いが出る。古い作品であれば、買うのにだって苦労する場合がある。よって、こういう経験がなければ得るものも必然的に違ってくるだろう。

 テキトーに転がってきたゲームと苦労して手に入れたゲームであれば、話は違って当然だ。ただのレトルト食品やおにぎりだって、山の上やキャンプ場で食ったらうまいだろう。ビデオゲームだって同じだ。

本物ってなんだ、本物を知りたい

 とはいえ、個人的にはそのエミュレーターでの経験を偽者と呼びたいわけではない。当然よろしくないこともあるが、黙ってやっているなら適当にやっていろというのが僕の考えだ。(ただし、「マジコンは最高だぜぇ~!」みたいな事を面と向かって言われるとビキッと来たりもするが、それは個人的すぎる感情なのでどうでもいい。)

 ましてや、こういった経験や背景を持たなければ本物でないということならば、雑誌記者や関係者が発売前に遊んでいるのは“本当”のゲームプレイをしていないということになってしまうだろう。まァ、違法行為でなければOKという話にすればいいのだが、それはそれで論理的に繋がりにくいように思われる。

 そして、これを突き詰めていくと“本物”とはなんだという長い話になってしまうので、割愛する。要は、環境が違えばそれぞれの得た体験は違うという、至極当たり前のことだけを言いたいのだ。

 単なるプレイヤーとしてであれば単なるプレイヤーとして、エミュレーターを使っているのであればそういった環境として、関係者であれば関係者として、レトロゲームを現代になって遊ぶのであればそれはそれとして、それぞれ違う体験を得るのは当たり前だ。なので、そうやって立場を明確にせずさも他の立場であるかのように振舞ってしまえば、例えば違法DLあたりでタダで遊んでからさも普通の買ったプレイヤーかのように振舞えば、それは確かに“偽者”になるだろう。これだけは間違いなく言える。
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