男子高校生の精神的モンハン疲れ

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世の中にはモンハンに疲れている人だっている

 知人の男子高校生に話を聞いたところ、どうも彼は「モンスターハンター」に疲れているようだった。

 僕はビデオゲームがそれなりに好きなのだが、趣味が偏っているためにモンハンなどにはまず手を出さない。しかし、世間を沸かせているゲームがどう楽しいかは気になる。そのため、先日に友人を介して都合よく知り合えた彼、つまりモンハンをそこそこ遊んでいるというとある男子高校生に、それがどんな風に楽しいのかなんとなく聞いてみたのである。

 そうして帰ってきた返事は、「モンハンは楽しいけれどもダルい」というよくわからないものであった。これを詳しく聞いてみたところ、話の筋は以下のようなものだと理解できた。
  • 彼は協力プレイのゲームが好き
  • だが、モンハン自体は別にそんなに好きではないらしい(本人はこれに気づいていないようだった)
  • しかし、友達と遊ぶためにゲームを遊んでいる
 なるほど、「モンハンは楽しいけれどもダルい」という言葉の意味がよくわかる。友達と遊ぶのは楽しいけれども、モンハンというゲーム自体が好みではなく、苦痛を感じることもあるのだろう。

 つまり、彼は友人とのコミュニケーションを楽しんでいるのであり、ゲームそのものは大して好きではないのだ。この話を聞いて、ふと自分のことを思い出した。

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誰にだって周囲に流されてゲームを買った経験があるはず

 先日、スーパーファミコンの『DQ6』を棚から発見した。なんとなく気が向いたので遊んでみたところ、これがつまらなくて困った。バランスの悪さなどの些事が原因かと思っていたが、そもそも僕はドラゴンクエスト自体が別に好きでもないのである。もっといえば、ああいうファンタジー自体に興味がないのだ。

 それなのになぜこれや、シリーズをいくつか持っていたかといえば、発売当時に友人たちの間で話題になっていたからだ。要は、話題に乗り遅れまいとしたのである。ああ、モンハンに疲れていた彼と同じだ。友人との交友のために遊んだだけなのだ。

 そもそも考えてみれば、ゲームの根源は文化的儀式であり、儀式はコミュニケーションの要素ともいえる。そんな肩苦しく考えずとも、トランプゲームやボードゲームだって多人数用の遊びだ。いや、ひとり用だとしても、それが多くの人の興味を引けば公共的なものになる。

 ビデオゲームを遊び、他人とその情報を共有するのも遊びのひとつだ。だからこそ、好きで遊ぶゲームの攻略サイトを作るのも遊びになるし、良し悪しや内容の感想を語ることも遊びとなる。ひとり用か多人数用かなどはゲームの形式に過ぎないわけだ。

 公共のために遊ぶこともある。たとえそれが好みに合わないとしても。

しかし、ゲームを遊ぶのは自分のためである

 さて、こうなると問題が出てくるわけだ。それは個人の嗜好や資質、そして適性が無視されるだけでなく、本人すらそれに気付かないということだ。

 もし高校生の彼が、嫌々ながらモンハンを続けるとどうなるだろうか。おそらく、流行が去ったあとに別の楽しみを見つけゲームをやらなくなるか、ひどい場合にはゲーム自体が嫌になってしまうのではないだろうか。そんなことを考えるのは、僕自身が過去に、適正に合わない作品ばかりを遊んでおり、ゲームそのものに飽きてしまった過去があるからだ。好きでもないのにファンタジーRPGばかり遊んでいても、嫌気がさすだけである。

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こういうゲームに行く可能性もあるだろうに

 彼は協力プレイが好きなのだから、それはそれとして別の方向性を模索すべきなのだ。彼はシューターにも興味があるようなので、おそらく『Left 4 Dead』のような協力FPSにはハマるだろうし、論理的な思考が得意なのであれば、『Catan』やら『Dominion』といったボードゲーム、あるいは古典的なトランプゲームなんかにハマるかもしれないだろう。

 ふと、自分のことを思い出す。ゲームに対し、かったるい印象ばかりを持っていた僕は、いつの間にかコントローラーを握らなくなってしまった。それを元に戻してくれたどころか、深みに更にはめてくれたのがXbox360のソフト郡であった。そして、それまで有名タイトルしか遊ばなかった優良プレイヤーは、妙なタイトルにも手を出すようになったのだ。

 そういった適性にあったものを友人と遊べれば──。彼のゲームを楽しむ姿勢は変わるであろうし、新たな出会いを手に入れることにもなるだろうし、あるいは友人たちともっと仲が深まる可能性だってある。それなのになぜ、彼はダルさを感じながらもモンハンを続けているのだろうか? モンハンをやめろというわけではなく、他の作品にも手を出したり、友達をそれに誘ってみてもいいではないか。

 その答えのひとつはおそらく、何が好きで何が嫌いなのかが明確にわからないからなのだろう。だからこそ、「モンハンは楽しいけれどもダルい」などという一見矛盾した言葉が出てくる。さんざん遊んでおきながら、別にモンハンがこれといって好きではないことに気づいていない人がいるのだ。これは彼だけの話に限らず、世間の多くの人がそうなのだと思われる。自分が何を好きなのかということに、強く向きあう人はあまり多くなかろう。

当たり前のことを当たり前に言うだけだが

 多くのゲームを遊んだことのある人ならさておき、普段からあまりゲームを遊ばない人に、「あなたはどんなジャンルが好きで、どんなジャンルが嫌いですか?」と聞いて、答えがもらえるだろうか。それは簡単な話ではないだろうし、答えられたとしてもそれが本当に合ってるかは微妙なところだろう。

 そうなれば、「友人・知人が話しているから遊ぶ」、「ネットで話題になってるから遊んでみる」、「広告を見たからやってみた」、「あの紹介記事でべた褒めだったから遊んでみる」となるだろう。いや、無論、こういったことが悪いわけではないのだ。だが、それはやはり適性や資質を無視した遊び方であり、結果としてゲームの楽しみを減らすことにもなりうる。それで結果的にゲームそのものに悪感情を抱くだなんて、喜べる話ではない。

 あなたは何が好きで、何が嫌いなのか。それを今一度、考えなおしてみて欲しい。世間一般で面白い・つまらないと言われているからといって、自分にとっても最善・最悪とは限らないのだ。

 そして、ゲームの世界は幅広く、多種多様だ。プレイヤーにあった世界がどこかにある可能性が大きい。僕はそれを適切に誘導できるような人間になりたい。なりたいが……、どうすればいいのだろうか。

 僕は口が下手なうえに知識もないので、高校生の彼にも、あまりいいゲームの紹介ができなかった。ビデオゲームで興奮したときの刺激を知っている者としては、それを他人に知らせ、あわよくばこの泥沼に引きずりこみたいものだが……。解決策を見つけられない自分の無力さを感じる。
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コメント

記事読ませて頂きました。ああ、なるほどな、と言ったところです。私は小さい頃からゲームに囲まれて育ち、ゲームが当たり前の環境だったので楽しいのかもわからず遊び続け、ゲームをよくプレイしている姿をみた友人たちからゲーム好きなんだね。と言われ自分でもそうなんだと思い込んでいました。もちろん、好きなゲームはあります。でもモンハンや長い王道RPGがすごく疲労感を覚えゲーム自体に気が進まなくなっていました。
この記事を読んで、面白くないのかを自分で認識して好きなものを開拓する、という選択肢ができました。
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