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『とびだせ どうぶつの森』はプレイヤーに“ルールを守ることの楽しさ”を教えてくれる

今回は『とびだせ どうぶつの森』でゲームのルールというものを考える

 ゲームというものには規則、ルールがあり、プレイヤーはそれを守る必要がある。それはビデオゲーム(テレビゲーム)のゲームでもあるし、スポーツにおけるゲーム(試合)でも同じことだ。

 しかし、なぜルールを守らなければならないのか? というのは簡単な話である。たとえば仲間内でサッカーをした時、キーパーでもないのに手でボールを持ってあさっての方向に投げて喜ぶバカがいたら一瞬で興ざめするだろう。つまり、ゲームというものはルールという前提に従うことによって、はじめて成立するのだ。

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 そして、それはビデオゲームでも同じことである。もっとも、ビデオゲームを遊ぶ際に「ルールを守らなければならない」と考えたことのある人は多くないはずだ。だが、『とびだせ どうぶつの森』というゲームは、それをプレイヤーに知らしめることをしているのではないかと思う。(厳密にはこのシリーズが、か。)

『とびだせ どうぶつの森』の守りたいけれども守りたくない気もするルール

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 『とびだせ どうぶつの森』は今までのシリーズと同じように、“リアルタイムでゲーム内時間が経過する”というルールを設けている。その中で、動物たちが暮らす穏やかな森でごっこ遊びをするのだ。

 そして、このルールを破ることは簡単だ。ゲーム機の時間をいじるだけでいい。しかし、それをした瞬間にこのゲームの楽しさというものは一気に軽薄になってしまう。その理由はやはり、このゲームが「実際の日時と共に少しずつ進めていく」という前提(ルール)で作られているからだ。

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 以前に別の記事で書いたが、このゲームはリアルタイムで少しずつ内容が進行していくことによって、愛着を持たせつつ、かつ何をすべきか見失わせないという仕組みを作っている。そのため、時間の連動は引き伸ばしだとか単なる足かせではないのだ。

○ 『とびだせ どうぶつの森』の何が好きかって、自由なのに道に迷わないところだ
http://hakotossdm.blog42.fc2.com/blog-entry-1493.html

 だが、このルールがもどかしく感じるのも事実だ。ほかのゲーム(特に家庭用ゲーム機の作品)の多くは一度に好きなだけ進めることができるわけで、それと比較すれば異質である。

 それを理解したうえで、『とびだせ どうぶつの森』は「現実世界の連動している森で、あるがままを受け入れて遊ぶ」という、“スローライフ”と呼ぶルールをあえて推奨しているのだ。また、本作でこそ声は弱くなったが、もともとこのシリーズはゲームをセーブせずにやめてやり直すリセット行為も推奨していない。

 リセットも通常のゲームであれば、プレイヤーが平然とする行為のひとつである。しかしなぜそれを推奨しないのかといえば、やはりこの世界の楽しさが、良い結果だけを追い求めないようなルールの上にあるからだろう。そして、ルールを守ることによって知れる楽しさがあることをプレイヤーに再認識させることにもなるのではないか。

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 チートでゲームバランスを無茶苦茶にしたRPGが面白くないように、友達と遊ぶパーティーゲームをひとりで遊んでも味気ないように、ゲームというものはルール、もっと言えば開発者の意図にできるだけ従ったほうがいい。そもそも、そういう場所にこそ用意された楽しみがあるのだから。

 世の中には「プレイヤーはゲームルールの奴隷だ」とプレイヤーを揶揄したゲームもあったが、むしろそれでいいのだ。少なくとも、開発者がきちんと組み上げたルールであれば、守ることにこそ意味がある。そして『とびだせ どうぶつの森』は、それを言外に伝えているように見える。

ルールを守らない選択肢もあるが、守ることも認識して欲しい

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 もっとも、これはゲームを楽しむ方法のひとつでしかない。『とびだせ どうぶつの森』とはあまり関係ないが、たとえばこれが対戦ものだとか、競技、競争となると話は別だ。

 あくまで他人と争うことを主軸にした場合、むしろルールの盲点を積極的に突くことになるし、それどころか盤外戦術のような卑怯ともいえる手を使う必要があるだろう。これは楽しさを追い求めるというより、勝利による喜びを得るための行動と解釈したほうがわかりやすいように思える。

 あるいは、別の楽しみを探すためにあえてルールを破ることもある(『とびだせ どうぶつの森』でもそういう遊び方はあるだろう)し、そもそもルールがひり出したクソより臭いこともあるので、その場合は破らないわけにはいかないだろう。もっとも、自分で新たなルールを作るのは簡単なことではないが。

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 つまり、ゲームを楽しむひとつの方法としては、「良いルールのもとに良いプレイヤーがいる」というものがあるということだ。“ルール(開発者の意図)に沿うように動いたほうが得をすることもある”ということは、当たり前ながら知らない人もいることであり、今一度再認識しておくべきことだろう。

 世の中には『とびだせ どうぶつの森』の時間をいじりまくって遊んで、一瞬で飽きたという人も割といるに違いない。そういう人にも、このことを伝えねばならないのだ。

 なぜルールを守るのか? 少なくともゲームにおいては、尊い楽しさを守るためである。そしてそれは、何より自分のためになるだろう。
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コメント

いつも楽しく読ませて頂いています。文章が上手で頭の良さを感じます。

私もリアルタイムでプレイ派なのですが、夢見や住宅展示場にて感じるモヤモヤを見事な文章でまとめてらしたので、思わずコメントさせて頂きました。

プレイスタイルが合わない方とは関わりたくない、と思う一方、いろいろな村を見てみたい、というジレンマに苦しんでいます。

お褒めの言葉、ありがとうございます。もっとも、正確には「頭が良いように見られたいという顕示欲が出まくっている文章」が正確かと思われます。

この記事で書いたのは、あくまでゲームにおけるひとつの楽しみ方についてです。が、テキトーにルールを破るくらいならば、従ったほうが何倍もいいことがあるでしょうね。しかし、ルールを破る人との付き合い方はなんとも難しく、僕はルールを守ることの楽しさを知ってもらう方法くらいしか思いつきません。

一方で、大胆にルールを破って新しい楽しさを提示したプレイヤーもいます。それは次の記事で紹介する「アイカ村」という場所になるのですが、ちょうどその紹介記事を本日の21時に公開するので、もしよろしければ以下のURLで御覧ください。
http://hakotossdm.blog42.fc2.com/blog-entry-1510.html

SSDMって、すしづめ...だったんだ(笑)

私はそういうのが簡単に触れる様にしてあるあたりに、面白さを感じますねー。
触らないのも、触るのも、自由にしていいよってのが懐が広く感じて、好きです。
すれ違いとかで、どう見ても触ってる家をいっぱい見ますが。
別に羨ましくも悔しくも、もちろん蔑む気にもならなくて
「へー、この人はこうやって遊んでるのかー、良い物見せてもらったわー」
って程度なのが、このゲームの大らかな所だとも思えますねー。

村民歴11年のプロ村民的に言わせてもらうと、昔のは本っ当!触らないとやってられなかったのですよ!(笑)

今は毎日閉店前に慌てて駆け込む毎日です。
夜遊びが好きじゃないから、夜型にはしたくないぃ(泣)

さしづめだったりすしづめだったり、ほかにも使えて便利な名前ですよ。同一人物だとあまり気づいてもらえませんが。

ゲームというものは基本的に細かいところまでいじれるほうが好まれますね。乱数を特定パターンで固定していちいちリセットで再抽選しなくていい仕様にしたら、却って反発を受けたなんて話も読みました。
おそらくこのシリーズも、ガチガチにルールを設けようと思えばできなくないのでしょう。ですが、あくまでそれを推奨するに留めていますね。
とはいえ、際限なく自由だと何をすべきかわからなくなることもある(余談ですが、洋ゲーにはそれがありがちなイメージがあります)わけで、適度にはめる型が用意されているのが僕もすごく好みです。

というわけで、別にルールを破ったり競争することがイカンと言うつもりはないですが、そういう人と一緒に遊ぶとなるとこれがまた難しくて……。
場合によってはネタバレにもなりますし、対戦ゲームはいわゆるカジュアル勢とガチ勢の話とかにもなっちゃうので、忌み嫌うのも無理はないと思います。これは根が深い問題なので、また別の機会に何か書くかもしれません。

こんばんは、私もこの他の人と連動する事も踏まえて遊ぶ、遊びを共有するという意味でも、このゲームについて時間をいじり倒すプレイヤーに関してモヤモヤする事を検索していたらここにたどり着きました。

先にコメントされてる方も言われていますが、モデルルームですれ違った相手の家に早くもグレース家具がぎっしり、青バラ咲かせたぞ!と言わんばかりに森で一種の目標にしている楽しみだったアイテムやレアものを所せましと並べてるだけの部屋なども度々見かけます。

夢見の館でも、同様に時間をいじらないと手に入らないアイテムや花がある村などを見ると、クオリティが凄ければ多少紛れますが、シンボルツリーも含めやっぱ楽しみにしていた分だけ、他の人に楽しみを削がれた気持ちになってしまいます。

プレイスタイルは人それぞれとは言いますが、他の人と交流もかねて遊んでいるのなら時間はいじらないか、人が来るときは元の時間に戻す、ネタバレアイテムは隠しておくなどの配慮はしてほしい。。

奥様方が立ち上げてるブログなどでは、すでにカーネーションやら交配花が満足いくだけ咲いている村などが取り上げられたりしてるのを見ますが、あれって観覧している人からしたら、酷い記事とも思うのです。
時間が有り余って、時間をついいじってしまうのかもしれませんが、私は他の人よりもこんなに色々あるのよ~と、花やら高価なアイテムなどがそういう人達の見栄はりに使われている気がして、見てしまって一気に冷めてしまう事もしばしば。

とび森なんて時間いじらなくたって、一日の内やれることはいっぱいあるのに、時間を進めて己の自己満足だけですませばいいのに、通信やすれ違い通信でリアルタイムで遊んでいる人が楽しみにしているイベント家具や花を、間接的に見せびらかして来たり、ブログでこんなにカーネーションが咲きました!金の薔薇、青いバラで家の周りを飾りました!みたいに無神経にアップしてる人の気持ちがわかりません;

自分だけのゲームデータで他者は関われないなら問題ありませんが
他者にも見られる、無差別に配布されるという時点で、最低限のモラルや配慮はするべきではないのでしょうか?と私は考えます。

a

そうですよね
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