ゲームレビューにおいて、「低い点数は信頼できる」のはどうして?

信頼などと軽々しく言わないほうがいいのではとも思う

 僕はまったくそんなことを思っていないのだが、そういう話を散見する。なぜ、ゲームレビューにおいて「低い点数は信頼できる」などと言えるのか?

 その対象は「ファミ通」から海外レビュー(おそらく、メタスコアのことだと思うが)という超曖昧な存在までに言われており、誰が言ったかというよりは、使いやすい言葉として存在しているのだろう。

 これはたいてい根拠のない話なので、僕もテキトウに答えてしまおう。これは単に“評価が高い作品は、皆が遊ぶので検証されやすい”からではないかと思われる。要は、低評価の作品は「低評価でも問題ないから低評価のままでいい」のではないか。

そもそもレビューとは信頼するものなのか?

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XBLA『Yaris』はクソ扱いだが、僕は割と楽しんだ作品だ

 さて、まず単純に考えてみよう。なぜゲームレビューにおいて点数評価が必要で、高い点数が望まれ、そしてそれを「信頼できない」などと言えてしまうのか。
  1. ゲームは当たり外れがあるので、評価は高いほうが好ましい。
  2. 中でも点数評価はわかりやすいので、点数評価の高い作品を買う人がいる。
  3. すると、時には嗜好に合わないことがあり、それを「信頼できない」と解釈されてしまう。
 ……という流れが本当にあるかどうかは難しいが、信頼できないと解釈する場合はこのケースが妥当なのだろう。さておき、「評価が高いゲームを買うと、それが外れることもある」のだ。

 嗜好というものは千差万別であり、「低評価だけど面白かった」、「高評価だけど面白くなかった」ということが起こるのは当たり前である。そもそも自分が遊び面白かったかどうかが問題なのだから、第三者の評価など本当はどうでもいいことだと言い切ってもいい。つまり、もともと評価というものは第三者の指針に過ぎず、それを盲信すること自体が間違っているのだ(レビューの存在価値がないとまでは言わないが)。

 では、なぜ低評価のほうは信頼ができるかといえば、これは前述のように、低評価でも問題ないからだろう。

低評価だからつまらないわけじゃあないし、低評価だからつまらないものもある

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時にはスクリーンショットを見たままのゲームもあるが……

 低評価のゲームというものは細かな違いはあれども、
  • 高評価のゲームを求めている人からすれば必要ないものであり、
  • クソゲーだのと呼んでバカにして笑う人もおり、
  • なおかつ、ひどいものはゲームとしての体裁もとれていない場合があり、
  • となれば時間を割いてわざわざやる必要もない
わけである。そのため、低評価なゲームはそのままでもほとんどの人に問題なく、わざわざプレイして評価が見直されることもほとんどない。

 よって、低評価自体が人を遠ざけるし、たいへん好みに合致していようとも世間の否定の流れに反発することも難しいし、そもそも反発する必要を感じないかもしれない。そのため、評価は動きにくいのだ。

 これをやや乱暴にまとめると、“評価が高い作品は皆が遊ぶので検証されやすく、評価の低い作品は単に検証されにくいだけ”というわけだ。多様な意見が集まれば評価が動きやすいのは当然なわけで、となれば高評価はブレが大きくなりやすく、信頼がならないというのもわかる。

 もっとも、「低い点数は信頼できる」というのも確認すれば崩れてしまう脆い存在なわけである。それは信頼というか、単に「箱の中の猫が死んでいようといまいと開けないのだから知ったことか」という乱暴な話に見える。それならば、レビューとの関係を今一度考えてみるべきだと思うのだが、さてどうか。
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