『Undertale』をプレイして理解した“キャラクターの名前で呼ばれたい”という気持ち

誰も殺さなくていいRPG『Undertale』

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旅路で出会った少年と道を行く

 この記事に掲載されているスクリーンショットは、「Undertale 非公式日本語化パッチ」を使用したものとなっている。なお、ゲームプレイもそのパッチを当てたうえで行っていることは留意して読んでいただきたい。

 また、ネタバレすることに躊躇のない記事となっている。

 PC向けゲーム『Undertale』をプレイした。本作はトビー・フォックス(Toby Fox)氏が開発したRPGで、簡潔に表現すると『MOTHER』のようなRPGに弾幕STGのようなバトルシステムを採用した作品だろうか。

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黄色い花畑へ辿り着いた始まり

 主人公はとある「人間」だ。モンスターたちが住む地下へ落ちてしまった人間は、この世界を脱出するため旅立つことになる。しかし、道中には人間の“ソウル”を奪おうとしたり、あるいは友達になろうとする奇妙なモンスターたちが現れる。そんなモンスターたちといかに交流するかというのが本作だ。

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とある戦闘シーン

 そう“誰も殺さなくていいRPG”というキャッチフレーズのように、『Undertale』のバトルは少し特殊である。ただ攻撃して倒すだけでなく、「ACT」というコマンドで相手を褒めたり近づいたりできるのだ。うまく相手の望む行動を取れば、殺さずとも先に進めるというわけである。

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筋肉を比べたがるモンスターの攻撃

 そして、敵のターンの攻撃も特徴的だ。基本的にはコマンド選択式のターン・バトルなのだが、相手はそれぞれの特徴にあった攻撃を四角い枠内で行ってくるので、自分のハートを動かして避ける必要がある。とはいえ、アイテムや装備といった概念もあるので強引にクリアすることも可能だ。

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パズル失敗時のユニークな看板

 道中にはパズルが用意されており、これを解くことによって先に進めることになる。わざわざパズルを用意するモンスターたちは妙だが、それも世界観のうちだ。

高評価も頷ける作りこみ

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人気キャラクターらしいガイコツの兄弟

 『Undertale』は比較的に小規模なゲームと言えるだろうが、かなり良い出来栄えである。キャラクターたちはユニークで、「サンズ(Sans)」と「パピルス(Papyrus)」の兄弟に始まり、かわいい見た目なのに知能が低すぎる「テミー(Temmy)」など、一度見たら覚えてしまうような連中ばかりだ。

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『MOTHER 3』の墓場を思い出すテキスト

 無論、彼らの存在を印象づけるテキストも見所のひとつ。モンスターたちの会話文は行動によって細かく変化するし、細かなオブジェクトにもジョークが挟まれていたりする。このあたりは特に『MOTHER』シリーズを彷彿とさせるだろう。

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石像のオマケ的謎解きをこなすとアーティファクトが……

 また、音楽の評価も高いようだ。僕が関心したのは、音を題材にした謎解きである。これを解くうえで特定の曲のフレーズを覚えることになるのだが、その一節が重要なバトルの中で流れるのである。実にニクい演出で、こういった細かな心配りもいくつか見受けられた。

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テミーの楽しげで頭が悪いショップ

 このようになかなか楽しく遊べていたのだが、クリアするころにがらっと気持ちが変化した。言ってしまえば、隠しルートのようなものを見て、本作に対する思いが冷めたのである。
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“プレイヤー”という存在

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バー「Grillby's」にて

 さて、何に萎えたのかといえば単純だ。それは“本作のキャラクターがプレイヤーに干渉しすぎる”ところが嫌なのだ。

 推測だが、本作はゲームを遊ぶ存在、つまりゲーマーについて語ろうとした作品でもある。『Undertale』には3つのエンディングが存在しているのだが、そのうちのひとつは残酷なものだ。しかし、そこでしか見ることができないものも存在する。つまり、ルートがあれば見ずにはいられないゲーマーの習性を利用し、“覗きたがる人間の下衆さのようなもの”について改めて考えさせようということなのだろう。

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アンダインとの追いかけっこのシーン

 特定の場面では、いくつかの存在が“主人公”ではなく“プレイヤー”に語りかけてくる。それによれば、ゲームのプレイヤーはすべてのルートを見なければ気が済まないが、それはとても残酷なことだと言うのだ。何度もゲームをやり直すことによってモンスターたちは同じことを繰り返さなければならないし、せっかく得た幸福が消えてしまうかもしれないというのである。

 『Undertale』ではキャラクターがプレイヤーに語りかけることにより、プレイヤーをゲームの中に引きずり込もうとしているのだと思われる。キャラクターたちが何度も繰り返される世界を認識することによって、まるで本当に、モンスターの住む地下世界が存在しているかのように思わせたいのだろう。

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メタトンのありがた~い劇を鑑賞する場面

 しかしながら、僕はこれが最高に萎える。プレイヤーがゲームに登場するメタ構造といえば、それこそ『MOTHER2 ギーグの逆襲』を思い浮かべるが、あれは「ゲームの中にプレイヤーが入り込めた」という演出なので良かったのだなと思えた。本作は逆で、プレイヤーをゲームに引き込むというより、ゲームを現実側に持ち出すかのように見える。

 “『Undertale』の世界が実際に存在しているかもしれない”と思わせると、視点が切り替わる。ゲーム内にのめり込んでいたとしても、現実世界から本作の世界を見てしまう。現実世界から見れば、本作は単なる創作物だ。出てくるキャラクターも嘘だ。そして、その連中が苦しんでいようが喜んでいようが、制作者の作った話でしかない。

 なぜゲームを遊ぶのが楽しいのかといえば、その世界にのめり込めるからだろう。「アンダイン(Undyne)」の殺意に恐怖を感じたり、「アルフィス(Alphys)」の歪んだ思いを受け止めるかどうか悩むことができるのも、“それがフィクションである”とは思わないようになるほどのめり込むからである。ただ、それが嘘だと痛感させられるようなことがあれば気持ちが離れていく。

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トリエルと共に「Home」で過ごすシーン

 また、ゲーム中の一部キャラクターはプレイヤーを認識することができても、制作者……、いわば神を認識できない。彼らを作り上げたのは神だ。幸福も不幸も神の産物であり、プレイヤーはそれを見ているだけに過ぎない。そんなことを考えると、プレイヤーに訴えかけるキャラクターに対してこう皮肉を言いたくなる。「ただの傍観者よりも、神に祈ったほうが良いのでは?」と。

 そして何より、ゲーマーの習性について特になんとも思えない。推理小説を開かなければ殺人事件は起きないが、開かれない本にどんな意味があるのだろうか?

 『Undertale』は十分に良いゲームだが、夢から覚まそうとする部分が嫌いだ。僕はむしろゲームの中に入りこみ、キャラクター名で呼ばれたいのである。

コメント

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ご指摘ありがとうございます。該当箇所を直しておきました。

ゲームを進めていくプレイヤーを非難する感じのゲームには、360やPC
で出ているSpec Ops The Lineというゲームがありましたね
あのゲームは一本道なので、プレイヤーが罪から逃れるには途中でゲームをやめるしかないのですが...
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