雑多

 大人の公園ってないもんですかね。いや決して卑猥な意味ではなく。
 ひょんなことからブランコに乗ったのですが、これがまた予想以上に面白い。景色が激しく動くだけでなく、揺られている感覚というのがまた良いものなのである。ゆりかごの記憶というものであろうか。しかし、いかんせん大人になってしまった僕は、そこらの公園のブランコに乗るといささか不安になるのです。体重が軽いほうとはいえ、子供用のブランコでは大人の体重を支えきれるはずがないので、少し乗ると不安になって降りてしまう。気兼ねなく乗りたいので、大人が使えるような遊具のある公園はないものかなあ、と。滑り台も面白いのに短くてなんとも。短いんじゃあなくて、僕が長くなっただけなんですけれども。
 こう書くと、「子供用のものに夢中になってアホか」といわれるかもしれませんな。人は少し大きくなると今まで使っていたものをやれ子供用だとか下らないとか言い出しますが、でも、もっとじっくり見ていいと思うんですけどねえ。公園の遊具然り、ゲーム然り。皆さんも思い当たるものがあるのではないでしょうか。


 そういえばXboxLiveパークでバイオ5の実況をやるとやらで、僕も少し拝見させてもらった。鈴木史朗さんが出演しているとのことで話題になっていた。氏はバイオ4がうまいとのことでテレビなどでも放送されているとか。
 ま、内容はともかく鈴木史朗さんの言っていることがいくつか気になった。ゲームは反射神経などを鍛えられるし、それは車の運転などにも役立つ。また、自身のいくことのない世界を体験できるので、実に価値のあるものだ、ということを言っていた。
 後者はおそらくゲームに触ったことがある人なら、誰もが認める価値であるように思う。しかし、前者はどうかなあと思ってしまう。いや、それが嘘だとかそういうのではなく、ゲームによそから持ってきた価値をつけようという行為がどうかと思うのである。確かに実際の価値があるとされる物事に関連付けをすれば、遊びといわれるゲームだって価値が出てくる。しかし、そんなことでいいのかなあと思ってしまうのだ。
 今はゲームはただの娯楽だなんて見方が強いから、ほかの価値と結びつけてゲームにも価値がある、って見方をしたくなるのはわかる。しかし、ゲームにはゲーム独自のものがあるんだから、無理してそう推さないでも、そのうち小説や漫画みたいに皆が気づいてくれるのではなかろうか。何十年かかるかは知らないけど。
 といっても、現状でのビデオゲームは肩身が異常なほど狭いようにも思える。だから、人々の興味を引くためにそういう俗っぽい価値があると思わせるのも正しいのかもしれない。そのままズルズル俗っぽさだけにならなければ、だけれども。
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