オーストラリアでは、ゾンビ化した警察官に会ったら殺されるしかない?

 日本でもビデオゲームにおける表現の規制は大きな問題である。ゲームの描写がものすごく写実的になりつつある現在では、あまりにグロテスクな描写や過激な描写における規制は必要だろう。
 ただし、規制をするということがどういうことなのか、どう規制をすべきなのか考えられていないように感じられる。


 近日発売のソフトでは『Call of Duty: Modern Warfare 2』と『Left 4 Dead 2』の一部に少し疑問を持つような規制がある。

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 『Call of Duty: Modern Warfare 2』のドイツ版では、テロリストによる民間人への銃撃シーンが規制されている。

引用元:「Game*Spark」 http://gs.inside-games.jp/news/208/20868.html
その衝撃的な内容が波紋を呼んだCall of Duty: Modern Warfare 2のテロリストによる民間人襲撃シーンですが、暴力表現への規制が厳しいドイツで発売されるバージョンではそのシーンに一部変更が加えられており、「民間人を撃つとゲームオーバー」になってしまうそうです。

 確かにテロリストが民間人を銃撃、それもプレイヤー自身が撃つということはあまり良いことに見えないだろう。ただし、これはあくまでゲームなのである。そして、プレイヤーが民間人を銃撃することを良しとしているとも限らないのだ。


 「テロリストが民間人を撃つのがよくない」というのは現実的な倫理感に基づいた考えだ。それをゲームに持ち込んで、規制しようとしている。ゲームはあくまでゲームの中における独特の世界がある。その独特の世界を否定しようとしている上に、現実と虚構をごっちゃにしている考え方だ。

 また、ゲームを見下した考え方でもある。そもそも、ゲームの意図というものを理解していない。「Call of Duty」シリーズはテロリストが虐殺をするのを良しとするゲームではなく、戦争の一場面を描いている作品だ。現代戦においてのテロというものは一大問題であり、現代戦を描くのならば触れなければならない事実である。そして、このような虐殺の痛みは必ず世界のどこかにあることだということを、このゲームでは伝えようとしているのかもしれない。そうであれば、その意図をまったく無視した作りになっている。痛みがあることを伝えようとしているのに、そこを抑えてしまってはプレイヤーは痛みを知ることを止めてしまう。

 そして何より、ゲームからこの問題を規制したところで、テロが無くなるわけではない。


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 オーストラリア版『Left 4 Dead 2』では、感染者(平たく言えばゾンビ)になった警察官への攻撃が一切許されていない。

引用元「Left 4 Dead Wiki」 http://left4dead.wikiwiki.jp/?Riot
オーストラリア版では「警察を攻撃するのは(たとえゾンビであっても)ふさわしくない」
という観点でゲームから削除されており、もしサーバーの中に一人でもオーストラリア版の
ユーザーが存在する場合、そのゲームでRiotは出現しなくなります。


 オーストラリアで警察官がどのように考えられているかは知らないが、規制から推測するに、警察官に対して反抗意識を持つことが良しとされないのだろう。確かに、警察官は秩序を守るのに重要な役割を持っており、反抗する人間というものは得てして秩序を乱そうとする者になるのかもしれない。


 ただしこれは前述のようにゲームの話なのだ。それも「ウィルスが蔓延してしまい、感染したものは人間を殺すから対抗せねばならない」という設定のゲームなのに、それでも現実の倫理を持ち込んでくる。これほどバカらしいことはない。

 現実の倫理をゲームに持ち込むということは、つまりゲームは現実の延長上と考えられているのである。それを逆に考えれば、ゲームで規制されたことは現実でもそうあるべき、という考えにいたる。そしてこの規制を言い換えれば、「警察が人に危害を加えるようなことになった場合であっても、警察官に逆らってはならない」という理屈が現実で成立するだろう。

 警察官がゾンビになって襲い掛かってきたら、(たとえゾンビであっても)抵抗してはいけないらしい。ケツの穴が引き締まるような冗談だ。大人しく食われりゃいいのか?
 そういった現実離れをした話でなく、身近な話でも考えてみよう。もし警察官が一方的な暴動でも起こしたとしたら、人々はどうするべきなのか? 手段はともかく、それを抑えなければならないというのは当たり前だ。


 ゲームと現実の区別がついていないから、こんなむちゃくちゃな理屈が通用してしまう。そして、ゲームを見下して、とにかく悪いと思われる要素を規制しようとするから、規制することについての論が立たない。

 少なくとも今日紹介した2つの規制は、本当に規制をするつもりでやったのならば、考えのない人のやることだ。規制することの意味がちゃんと成っていないし、その上プレイヤーや開発者に不快感と余計な作業を与えるだけの規制だ。ゲームを規制しようと思うのならば、まず現実に目を向けて、さらにゲームをもっと知るべきだ。



 漫画表現の規制なんかもそうだが、臭いものに蓋をしたところでそれが無くなるわけではない。むしろ、臭いものがどういうことか知らせた上で、それをやめさせようと思わせなければ意味がないのだ。
 こんな当たり前のことは、何十年も前から言われていることだ。それなのに、いまだにどうしようもない規制があるという事実には、呆れるほか無い。
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