何が為にレビューを読むのか

「Game*Sparkリサーチ『ゲームレビューの問題点』結果発表」(Game*Spark)
http://gs.inside-games.jp/news/224/22486.html

 この記事を読んでいたら、思うところがあったり少し頭痛のようなものを覚えたので、少し書きます。

 ところで、レビュー云々はさておき、まず失敗しないゲームの買い方ならわかります。欲しいゲームタイトルがあったら、こんな状況でも買いにいくか? と想像を働かせてみるのです。

 一日の仕事を終え自宅に戻り、風呂で汗を流し飯を食い、寝巻きに着替えて歯を磨き、スキンケア・翌日の準備等も済ませ寝る準備を完璧に整える。あとは布団に入って目を瞑るだけだ! という状況になってから、あなたはゲーム雑誌なりインターネットで、気になるゲームタイトルの情報を見つけました。そして、そのゲームは既に発売していたのです。
 さて、その状況から、わざわざ心地よい寝巻きを脱いで外出着を纏い、外へ出てゲームショップへ行きたくなるかどうか。これで行きたいと思うならば、その目当てのタイトルはどこで買っても間違いなく楽しめるでしょうし、逆に、メンドクサいしもう寝ちゃっていいや、と思うのであれば買わないほうが無難でしょう。


 さて、上の記事の内容について。

 まず気になったのは、レビューって信頼できるとか、正確であるかという所が問題なのだろうか、という点である。レビューのレビューをするとか、レビュワーを多く採用するというのは、正確性を求めるような行動だろう。それだけが大事なのだろうか。

 事実認識や文章表現という点において正確さというものは確かにあるし、読み物としてはそれが重大な価値を持つだろう。しかし、その認識や表現が正しくできたとしても、結局どう面白く感じるか、どうつまらなく感じるかは人の感性による。そもそも、物事の認識がちゃんとできなくても楽しめるのがビデオゲームのいいところだ。

 小学生がルールをよくわからないままでボタンを押して楽しめているのだったら、それはそれでいいわけだし、逆に難解すぎてわからなくても、それはそう思ったのだから正しいだろう。それを「ゲームルールが認識できていないのだから、楽しくないというのは間違っている」などと言えるだろうか。そんなことを言い出すのはアホである。感じたことは他人が侵害できるような領域にあるものではない。せいぜい言えて、「ルールを認識できていないのだから、このプレイヤーは本当の楽しみ方を知らない」という所までだ。
 つまり、正確さを求めていったところで突けるのは相手の間違いだけで、感性にはダメ出しなどできない。僕はゲームレビューには主観が混じってなんぼだと思っているので、その部分はそれでいいと思っている。


 そして、そもそも、どのゲームレビューも正しいことを言おうとしているのだろうか? 信頼できないとか、正確でないという物言いは、その対象が信頼できるものであるべきだとか、正確であるべきだと思い込んでいる裏返しだ

 ファミ通は雑誌を売るためやメーカーの宣伝としてレビューをするのだし、個人サイトは好きでやったり、あるいは企業の息がかかってそれをやるのだ。そこに正確さはあるのか。なくて当然じゃないか。
 ファミ通は儲けるためにものを書くだろう。個人サイトは馬鹿にするためにレビューを書くかもしれないし、自分が好きだからという理由にもなってない理由で書くかもしれない。あるいは、金や名誉、嫌がらせや、企業の息がかかった故の私利私欲のために書くこともあるだろう。そのために事実を曲げたり、むちゃくちゃを書くこともあろう。

 誰がそんなものを確たるものだと信じるのか。だいたい、どこの馬の骨が書いているのかすりゃわからないのだ。書き手の情報が書いてあったところで、それが本当かどうか確かめる術はない。それに、どういう視点や基準、やる気で書いているかもわかりゃしない。そんなものを信じるだなんて、白馬の王子様が自分を娶りに来てくれると思い込むよりも、圧倒的に間抜けだ。


 むしろ、信頼できるどうこうという話ではなく、人の見解を知るために人が書いたレビューを読むのではないか。同じものを齧っても、感想には違いが出てくる。だから、なぜその違いが出てくるのか、人は精一杯、文字や体、あるいは声や絵を使ってその差異をレビューとして表現するのだろうし、読む人はそれを知ろうとする。
 そして、その表現として出たものに共感を覚えたり、あるいは自分の感性と似たものを持っている人がいて、”その人が楽しんでいるから自分にとっても合うだろう”と思うこともあるのである。主観に正確さがあるとしたら、そういった自分との擦り合わせで発生してくる部分だろう。
 もしくは、全然違った見方を発見し、新たな面白さを知ることがあるかもしれない。あるいは、自分が楽しめた部分が人によってはつまらなく感じることを知れるだろう。むしろ、本筋はこちらで、こうして人との差異を見るためにあるのではないか。


 詰る所、レビューなんてものは純粋な見解の吐露ではないことがあるし、立場上の嘘が混じっているものもあるわけだ。それを信頼してゲームを買ったり、面白いのでは、と思い込んでしまうのは大きな間違いだろう。そんな間違いを犯してしまうから、レビューが信じられない、正確でないなどと世迷言を言ってしまうのではないか。
 「自分が買うゲームは面白いか・買って損はしないか」ということを知るにあたって、レビューをアテにするのは筋違いだ。だから、ゲームを買ってはずれをひかないためには、最初に書いた方法を使ってちゃんと自分に聞くべきかと思われる。

 もし、純粋な見解の吐露を見て共感しても、人の感性はあくまで人のものだ。それが、時々自分に重なって見えても、だ。
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