『Fallout: New Vegas』の広告から見る従来のRPGの問題

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今回の概要

 『Fallout: New Vegas』(以下、Fo:NV)という作品がある。北米製のオープンワールドRPGで、このサイトでもプレイ記録レビューを記した。今回の記事では、その作品の日本での広告について語ることにしよう。

 さて、今回取り上げたい広告は、ゲーム雑誌や公式Webサイト(http://fallout.jp/)で見ることが出来る。当然『Fallout: New Vegas』発売前から掲載されていたのだが、これが色々と話題になったのだ。なぜ注目を集めたかというと、平たく言えば挑発的な内容だったからである。

 その内容としては、いわゆる従来の日本製RPGというものを批判するものであった。広告には、不機嫌そうな顔をしつつプラカードを持った若者が数人写っており、彼らは全員従来の作品に対する不満を示している。何にせよ否定的な意見は目立ちやすいので、こういった広報はある意味で正解なのだろう。

 それはともかく、この広告に書かれている批判の内容、読んでいていくらか思うところがあった。これが発表されてからしばらく経って落ち着き、しかもプレイし終わった今、もう一度これをじっくりと読んでみたい。

広告における批判と、その言葉の意味

 まず広告を読む前にいくつかの点を留意しておこう。この広告はあくまで、『Fallout: New Vegas』を持ち上げるために作られているはずである。そして、批判している対象が何かよくわからないため、言葉の矛先がどこへ向いているかはわからない。(この辺りが実に狡猾で、批判という刺激的な内容にしておきながら、誰かを責めるわけでもないという責任逃れをしており、広告として優秀に思われるのだがそれはさておき。)

 何が言いたいのかというと、この広告の文言を真に受けるのがマヌケだという話である。そもそもの目的が自社作品を持ち上げるためでしかなく、しかも言葉の対象がわからないとなれば、これはもう批判としては正確でないだろう。つまり、今回はこれを真に受けて言い返すのではなくて、この広告が言っている「いわゆる一般的なゲーム(そして、それはおそらくJRPGと言われるもの)における不満」というものを見てみよう、ということなわけだ。

 では、内容を見ていこう。
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これがその広告

○ 「いつからゲームは鑑賞するものになったのか」
 これを言い換えると、「Fo:NVはムービーばかり見せ付けるゲームではない」ということになるのだろう。確かに見ているだけの場所はほとんどないと言ってもよく、常にキャラクターを操作していることになっている。

 さて、これを従来のRPGに対する批判と考えると、「いわゆるムービーゲーはいらない」ということであろう。ビデオゲームは特にプレイステーションやプレイステーション2において、3Dグラフィックス技術を驚異的に進化させた。それ故に、今まで考えられなかった映画顔負けの映像を提供する作品が見られたわけである。

 もっとも、調子に乗りすぎて本当に映画を作り、それが盛大にずっこけて会社を傾かせた人もいるわけで、これを一概に喜べないというのは確かなこと。そして、そもそも単純な映像作品として映画に勝てるかといえば話は別である。ゲームはやはりゲームならではの良い点を生かしていかなければ、勝つことは難しいだろう。

 ただし、だからといってムービーを鑑賞するゲームがいらないということには成り得ない。RPGに限らず、ゲーム性が薄くとも魅力を持つ作品は腐るほどあるわけで、そういった面で魅せていけばいいのだ。面白ければムービーだらけでも文句を言われることはあるまい。

 つまり、これをもっと具体的に言うのであれば、「ゲーム向きでない材料を使って、退屈なムービーを見せる作品はいらない」ということになるのではないだろうか。

○ 「プレイヤーが弱いうちは敵も弱い。そんなの都合良すぎる」
 続いてはご都合主義に対する文句である。これを自社製品の褒め言葉にすると、「Fo:NVは最初からいろんな強さの敵が出てくる自由さがある」ということだろうか。

 ただまァ、プレイヤーが弱いうちに敵が強いというのは、誰がどう考えてもバランス調整ができていないクソゲーなのである。そう考えると、そのくらいの都合は見過ごすべきだろうとも思わなくもないのだが、しかしこういった意見はわからないでもない。悪の大魔王がまるで勇者を育てるように、次第に敵の強さをあげていく……、というのはマヌケに感じてしまうことも確かにあるだろう。

 しかしこれも正確に欠点を突けているとは言い難い。やはり、いきなり強い敵を出すとバランスがおかしくなってしまうのだ。これを解決させる方法はいくらか存在しており、例えば本筋とは関係ないところで死ぬほど強い敵を出したり、強制敗北イベントを設置したりすればいい。他にも、特定の戦法を取らなければ勝てないボスを配置するという方法もある。また、有名タイトルでも「強制敗北イベントかと思ったら普通に負けた」なんて話は探せばいくらでもあるだろう。

 結局のところこれは、「適度に手ごたえを感じるプレイにした上で、不自然さを減らして欲しい」と言い換えたほうが適しているのではないか。「Fo:NV」においても、規定の道筋通りに行けば弱い敵から出てくれるわけだが、少し道を外れると強い敵が出てくることによってごまかしている。バランス調整をするためには弱い敵から出せざるを得ない為、そういった不自然さを創意工夫でカバーするべきなのだろう。

○ 「主人公には悪を滅ぼす以外の使命があってもいいと思う」
 これは悪の手先となって世界を滅ぼすことも、あるいは全てを破壊する殺戮マシーンになることも可能な「Fo:NV」の有利な点を述べているのであろう。

 さて、これを有名RPGタイトルで思い浮かべてみると、確かに悪を挫いて正義を貫く話が多いように感じる。とはいえ、これを一般RPGの欠点と取るのは間違っているだろう。

 なぜ勧善懲悪に近い作風が多いかといえば、これは日本がそういう場所だからとしか言いようがない。もとよりグロテスクな表現やブラックジョークを好む土壌なわけではなく、しかもRPGのプレイヤー層は幅広く、それこそ子供から年長の方まで遊ぶわけだ。こうなると一部の年齢層だけに受けるものでなく、比較的単純でわかりやすい構成である善対悪が選ばれやすいわけだろう。

 しかし、近年は海外のゲームがローカライズされて気軽に遊べるようになってきたわけである。こうなると、日本のRPGはワンパターンであると取られても仕方あるまい。無論、悪を滅ぼすRPGがいらないというわけではないが、「シナリオの多様性を増やすべきだ」という意見は決して間違っていないはずだ。

○ 「最近のゲームは見た目のリアルばかり追ってないか」
 これは一見よくわからない話なのだが、今作の特徴を考えれば理解できるだろう。「Fo:NV」では、街中の人々は全て自身の生活を行っている。時間になれば飯を食べたり睡眠をとったり、あるいは働いたりしているわけだ。プレイヤーキャラも場合によっては睡眠などを必要とするので、それを特徴とする意味でこの言葉があるのだと思われる。

 さて、前述のように、ハードが進化していった結果、ビデオゲームのグラフィックの質が非常に上がったわけである。故に開発者やプレイヤーはそれを求めるが、実際のところ、見た目の進化がゲームプレイの面白さに関係してくるのかという疑問を持つ、ということだろうか。確かに性能が上がった分を他に回すことも可能なわけで、そうして面白さの模索をしていったほうが良いという意味も含まれているのかもしれない。

 ただ、これにはひたすら同意するわけにはいかない。グラフィックの表現力が上がれば上がるほど出来ることは増えていくわけで、歓迎こそすれ煙たがることはありえないだろう。あるいは、パッと見はものすごい最新技術を使っているが、中身は『ポン』と同じようなゲームが出てしまえば少しは苦悩するだろうが、そんなに極端な話はまずありえないだろう。それに、見た目だけでも技術が優れていれば魅力に成り得ないということはないはずだ。

 そんなわけでこれを婉曲に言うのであれば、「見た目のリアルもいいが、システムも更に磨いて欲しい」ということなのだろう。

○ 「レベル上げの作業はモチベーションを下げる時間だ」
 「Fo:NV」は鍵開けだろうがハッキングであろうが、あるいはお使いでも経験値がもらえるため、ほとんどレベルを上げるということを意識しなくても自動的に上昇していくという点の強調である。

 これに関しては、批判と考えるとひどく的外れである。そもそも作業になるほどレベルを上げなければならないのは間違いなくバランスが取れていない作品であり、まともであると言われる作品は大抵経験値の配分も納得がいくものになっているだろう。

 更に、はぐれた液状金属のようなものをちまちまと狩る作業が好きな人だっているのである。明確に努力が数値化されて蓄積していくというのは、ビデオゲームの楽しみの一つだ。これを従来のRPGの批判と考えてはいけないだろう。

○ 「シナリオどおり進むゲームなんて、レールに乗った人生と同じだ」
 どのシナリオも自由に選べる本作は、一本道のRPGより優秀である! という主張か。

 これはもう、好みの差としか言いようが無いだろう。「Fo:NV」は短編小説のようなもので、通常のRPGは基本的に長編小説のようなものだ。ガッツリと読める長いストーリーが好みか、自由の利く短いストーリーが好みか、という話でしかない。どちらにも良い点があり、それは取っている形式の差である。

○ 「ストーリーに変化がないのにもう1回やるのはムダだ!」
 「Fo:NV」はクエストの解決策によってストーリーが変化するため、何度か違う結末が見れるという売り込みであろうか。他には、SkillやPerkの設定で違う遊び方が出来るということかもしれないが、この文面ではストーリーに限って言っているので、やはりマルチエンディングの話だろう。

 意見として捕らえた場合、これもまた正しくなく、例えシナリオが同じであろうとも、面白みがあればもう一周遊べておかしくないわけである。例えば、やりこみ要素であるとかそもそも戦闘自体が面白いだとか、工夫さえすればもう一度遊ぶことは可能であろう。

 もっとも、そういった変化が弱いのに、無理に周回を強要するような作りをしている作品はいくつか思い当たる。それも、有名タイトルでさも当然のようにやっているものがあり、もはや、やりこみ要素という言葉が独り歩きして、とりあえず何でもいいから詰め込んでおけという風潮すらあるのではないかと思うことすらあるだろう。スコアピースなんかはぶん殴りたくなった記憶がある。

 つまりこれは、「面白くもないのに、周回を強要する要素が悪い」と解釈すべきだろう。

結局は、硬い頭が問題なのではないか

 さて、この広告における批判を独自解釈してから列挙すると、このようになる。

○ ゲーム向きでない材料を使って、退屈なムービーを見せる作品はいらない
○ より不自然さを減らして欲しい
○ シナリオの多様性を増やすべきだ
○ 面白くもないのに、周回を強要する要素が悪い


 これを見てみると、従来のRPGというジャンルに対する指摘よりも、凝り固まった固定概念に対する文句のほうが多いのではないだろうか。とりあえずムービーにしておく、とりあえず慣例に従ってご都合主義を使っておく、とりあえず広い年齢層に受ける題材を使う、とりあえずやりこみ要素を入れる……。無論、僕の解釈によってかなり偏った物の見方になっているが、こうなると、当たらずといえども遠からずといった感じであろう。

 ゲームに限らず作品というものは、多くが表現したいことがあって、それを成し遂げるために様々な手段を取られるのである。つまり、なんとなくといった風に仕様を決定していってしまうと、形だけ残った中身のない、言ってしまえば意味のない仕掛けだけが残ってしまうのだ。

 「こういったムービーを見せたい」という意図がなければ、おそらく「ドラクエ7」のようなことになるであろうし、「とりあえず慣例に従ってご都合主義を使っておく」と物語の意味合いが弱くなり、長い話を読ませるRPGとして力が弱くなる。そして、「とりあえず広い年齢層に受ける題材を使う」となれば、対象年齢がはっきりしないぼやけた味わいになるであろうし、「とりあえずやりこみ要素を入れる」と、誰も喜ばない面倒な作業が追加されるだけになってしまう。要は、そういった堕落した面を批判しているのではないだろうか。

 『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』、あるいは『ポケットモンスター』から代表されるように、RPGというジャンルは日本のゲーム市場を代表するものである。故に、日本では似たようなRPGが量産されるのだろう。そして、製作側もそれに甘んじて、従来のRPGと似た形態を取っていればそれでいいと思うようになってしまっており、この広告はそれを批判しようとしているのではないか。……というのはいささか論理が飛躍しすぎているが、しかしまァ、血の巡りが悪くなっているという点はあながち間違っていないのではないだろうか。

 とはいえ、日本で開発されるRPGも従来のコピー品ばかり出ているというわけではない。例えば、『ラストレムナント』のような挑戦的な作品もあるわけだが、しかしこれは悲しいほどに理解されなかった。コマンド戦闘式のRPGでシミュレーションのような戦いを繰り広げられるという、実に素晴らしく大胆な発想を実現したものなのであるが……。(まァ、あれを理解できるほうが異端なのはわかるのだが。)

 なぜ理解されないかといえば、ユーザーが保守的であることもそうであろうし、企業としても新しいものに挑戦することより、安打を狙ったほうが良いからだろう。これは至極真っ当な理由なのだが、しかしそれが凝り固まってしまっては、逆効果でしかない。

 繰り返すことになるが、やはり守りに入りすぎるのがまずいのであろう。二、三度なら同じことをしても問題はないが、さすがに五、六度になれば問題になってしまう。そして、なんとなくムービーを使ったりなんとなくやりこみ要素を入れるのではなく、やはりRPGというシステムに合ったものを入れるべきなのだ。例えば、一周の長い物語をじっくり読ませる作品であれば周回要素はいらないし、逆に周回させるのが目的であれば話はあっさりにすればいい。それこそ表現したいことに合致したシステムを採用して、その特性を生かすことを目指せば、これらの批判など問題にならないのではないだろうか。

 しかし、もしそれを忘れてしまったのならば、JRPGと言われながら嘲笑されても仕方ないだろう。このあたりの意識が問題であるように思えるのだ。その点に関しては、一見無茶苦茶に見えるこの広告にも、正しさがあるのではないか。無論、これは日本のRPGだけに限らず、どこに行っても同じ話であろう。形骸化してしまったジャンルは、あまり意味を持たない。それだけのことだ。

 まァ、結局のところ単なる広告である。真に受ける必要はあるまい。しかし、列挙した欠点を持ってしまっている作品があるように感じるのも事実。このあたり、いくらか考え直してもいいのかもしれない。
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コメント

そうなんですよ!

FoNVの攻略でこちらににたどり着き、
参考にさせていただいております。
そいで、このエントリ、
そうなのよ~とかつぶやきつつ、
読ませていただきました。

まあ、あの広告自体に関しては、
「そういう君らこそ、今回は、
ベガス北上ルートを蜂とデス様で塞いで、
一本道にしちゃったくせに」
だったりしますが(笑)。

結局、「旧態依然」なんですよね、ここでも。
長編小説としての一本道こそ、
プレイヤーを飽きさせないための、
相当の構成力&ストーリー&細心のバランスが、
必須だってのに、最近はねえ……。

RPGだけでなく、日本のゲームはかつて
それが得意で天下取ったというのにねえ。
私もオブリでショック受けた口ではありますが、
それでもやっぱり、バランスの細かい詰めについては、
日本の「数名の」巨匠クリエイターには遠く及ばないと思います。
(んで、そういうランボーな作りのくせに、
何度も巡回させるとこが凄いんだけど、ベセスタ。
トータルの構成力って実は低いんじゃないかと思うけど、
細かいくすぐりが絶妙なんですわ)

でも、今のJRPGの主流はお子様モードで作られてますしね。
その方が売れるからでしょうね。
仕方ないか、不況だし。

ただ、いい年こいてゲームやってる身としては、
挑戦して欲しいなあと。
CERO-Zを「敢えて取りに行く」、
そういう度胸があってもいいんじゃね?  とか。

ところで、私は、まだメインクエスト分岐前で止めたまま、
ウェイストランドをさまよってます。
他のコンパニオンに変えたいのに、
ブーンさんを捨てる決心がつきません(笑)。

長文失礼いたしました。

ああ、言い忘れてしまったわっ。

はじめまして。

どうもacoさん、はじめまして。わざわざこの長い記事を読んでくださってありがとうございます。
書いたことに同意していただけるとうれしいです。

日本のRPGもそれはそれで良い点があるので、そこをうまく生かしてもらいたいところですね。ただまァ、作る側からするとそれこそが難しいのかもしれません。流れを変えるような大きなタイトルが出てくれば、みんなこぞって走る方向を変えるとは思うのですが。

Fo:NVはまだプレイ中でしたか。このサイトにはネタバレ全開のプレイ記録なんかも置いてあるので、閲覧にはくれぐれもご注意ください。

fallout3 みたいなゲームは
やっぱ新鮮味があっておもしろかったですよ
ただやっぱりゲームの盛り上がりの幅がすくないって感想はありますね。
JRPGも悪くないと個人的にはおもっています ただマンネリ感はいなめませんね
ここいらでクリエィティブな発想をJRPGに添えれば、 
そこが一番むずかしいんですが。日本には求めたいですね。

>>長編小説としての一本道こそ、 これはそうですね
ロストオデッセイではこれはすばらしい、いい構成ではあったようにみえますね。
どちらとしても甲乙つけがたいですが。
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