書籍「ゲーム・レジスタンス2」を読んだ。“ゲームを中身で見ろ!”というのは幻想なのかもしれないという疑念

ゲーム・レビュー企画記事の多い「ゲーム・レジスタンス2」

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 書籍「ゲーム・レジスタンス2」をだいたい読んだ。本著はゲームライター原田勝彦氏の遺稿集で、2014年5月に出た「ゲーム・レジスタンス」に続く書籍である。

 今回はいかにも遺稿集という構成だ。というのも、前回の本は原田氏の個人的な事情が読める一連の企画「ゲーム・レジスタンス」が載っていたのだが、今回はゲーム紹介のレビュー・企画が多く、淡々としている。当然といえばそうだが、前作を買っている人や既に事情を知っている人に向けられた作品だろう。

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 ちなみに「ゲーム・レジスタンス2」では、企画「スーパーファミコン vs メガドライブ」や「好きだぜ! Xbox~俺たちの宝箱~」、そして「裏読者コーナー ディストピア」といったものが掲載されている。あとはレビューが多数収録されており、コラムは数ページ程度だ。

 なお、以前の「ゲーム・レジスタンス」についてはインサイドに記事を載せていただいたので、よければ読んで欲しい。

○ 書籍「ゲーム・レジスタンス」レビュー、若くして亡くなったゲームライターが語り続けた“ゲームの魅力”とは
http://www.inside-games.jp/article/2014/05/26/77025.html

 ところで、「ゲーム・レジスタンス」でははじめにこんなことが書かれている。

最近、ゲームに対してナナメなスタンスの奴が多すぎる気がしないか? ライトユーザーの名を騙り、大企業の宣伝するゲームだけを手にする自分がセンスいいと思ってる奴。また逆に、マニアックなタイトルやプレミアがつくようなレトロゲームを持ちだしては、自分は違いのわかる人間だと言い張る奴。…違うだろうがっ! ゲームというのはもっと純粋なものじゃなかったのか? プレイすることが楽しい。それが全てではないのか!

 これにはまったくもって同感で、今でも十分に通用する話だと思っている。メジャーなゲームだけを遊んで自身の感性をないがしろにするのはもったいないと思うし、妙なゲームをダシにして自分を飾ろうとする行為を見ると嫌な気持ちになる。

 重要なことはゲームを遊んで楽しむことなので、そんなものは無視すればいい。なぜゲームなどをやるのかといえば、それはゲームをすることが楽しいからにほかならない。
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『スプラトゥーン』褒めすぎ問題。あるいは、感情を素直に吐かないことによる過剰表現の泥沼

負の感情で記事を書くのはよくないこととわかっても

 先日にE3(米国で行われる新作ゲーム展覧会)が行われ、そこで任天堂が『スプラトゥーン』(『Splatoon』)というゲームを初公開した。これはマルチ対戦シューターなのだが、とにかく動画を見てもらったほうがいいだろう。


 インクをぶちまけてどれだけ自チームの色で街を染められるかを競うカジュアルなTPS(三人称視点シューティング)であり、なぜかイカになってインクに潜ることもできるという、ありそうであまりなかったタイプのゲームだ。世間の評判(といってもネットでの評判だが)も良く、僕も発売が楽しみだなと感じた。

 それはいいのだが、そこからが困った。というのも、本作を過剰に褒めている人が出てきて嫌な気持ちになるのである。まだ出ていないどころか初発表のゲームなのに……。これは発売前のゲームを無意味に叩きまくるのと同じくらいに嫌だ。

 まァ、それは僕が我慢すればいいだけの話なのだが、褒め言葉はいい加減でも許されることが多いのは問題だろう。相手をむやみに持ち上げて事実との落差を作ることにもなるし、下手な褒め方をすれば天狗になる人もいる。しかし、それでも過剰な褒め言葉は止まらない。

書き始めたのはいいが、書かないほうがよかった記事な気もする

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 とりあえず、あの記事のこれは褒めすぎだということの明言は避けておこう。そもそも実際に製品版がどうなるかわからないのだから、あれこれ言っても仕方がない。それに期待することは否定するつもりがないというか、僕だって楽しみにしているゲームだ。しかし、まだ定まっていないであろう部分を褒めてどうするのだというわけである。

 とはいえ、これはゲームだけの問題でない。たとえば、あの芸能人がとても良いことをしただとかいうデマがFacebookなんかで広がっていると以前に話題になったが、アレに似たものがあると考えている。否定は第三者から否定されやすいが、肯定は否定されづらいのだ。

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 『スプラトゥーン』は対戦ゲームなので、そもそも人が集まるかどうかという課題がある。また、4対4なのでひとりに必要な技量が大きくなる(大人数対戦ゲームになればなるほど、ひとりあたりに必要な技量は減る)わけで、その基本的な部分をどう解決してくるのか? というのも気になるわけだが、僕の見た過剰な褒め記事ではそのあたりに触れられていない。

 そもそも初発表なのだから詳細についてはこれから決められるわけで、今の時点で言えることは今後に期待できるというくらいだ。しかし、既にすごいゲームだと褒めきってるような文章が目につく。こういうことを言うと「盛り上がってるのに水を差すんじゃねえ!」と返されることを経験しているのであまり言いたくないのだが、それでもやはり無闇に褒めるのは無責任だろう。

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 おそらく、書いている側も問題を起こしたくて書いているわけではないはずだ(と思いたい)。E3の盛り上がりを見て文章を連ねていくうち、自身の中にある盛り上がりに正当性を持たせたいがために表現が過剰になり、それが結果として無茶な褒め言葉になったのではないか。(過剰な否定にも似たような構造があると思われる。)

 しかしながら、落ち着くべきである。あるいは、落ち着かないにしても素直になるべきではないか。動画を見て面白そうだと思ったのなら、「面白そう!」とだけ口にすればいいことではないのか。すごいアイデアになりそうだと思ったら、「すごいアイデアになりそう!」と言うところで止まり、妄想に足を踏み入れなければいいのではないか。

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 何かを感じた時、それは立派な文章となって脳内に現れるわけではない。感覚という曖昧なものでなんとなく感じるわけであり、それを文章に変換するうちに余計なノイズが混じってくるのだ。

 そもそも自身の感情や感覚を表現するために文章を書いたりするのに、文章を書く工程で生まれる要素が感情を大げさにしたり、逆に感情を食ってしまうのは問題ではないのか? ……こう書いても仕方ない気がするのに、書かずにはいられなかった。
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共産主義国アルストツカで、国の理不尽な要求に涙しながら入国審査官の仕事をしたかったのに 『Papers, Please』

「アルストツカに栄光あれ」でお馴染みの入国審査ゲーム

 共産主義国アルストツカで入国審査官に任命されたプレイヤーは、必死に仕事をこなすことになる。「ゲームの話ではないのか」だと? 確かにこれは、仕事ではなくゲームなのだ。

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国境でパスポートなどの書類を審査し続ける仕事のようなゲーム

 Lucas Pope開発のPCゲーム『Papers, Please』を遊び、いや、こなしたというべきだろうか。この作品は第16回Independent Game Festivalでグランプリに輝いたり、さまざまな賞を得ているようで、かなり注目を集めているインディーゲームといえるだろう。

○ Papers, Please - Playism
http://www.playism.jp/games/papers_please/

 僕もその盛り上がりの相伴に預かろうと思ったわけだが、あまり面白く感じなかった。言い換えると、僕は『Papers, Please』をプレイして、共産主義国アルストツカにおける理不尽さを感じ取れなかったのである。

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『Papers, Please』タイトル画面

 なんだか水を差すような話になってしまうが、ゲームについての文章は多様性があったほうが良いと考えているので、それでもこうして掲載させてもらおう。
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ゲームへの評価なんて、時と場合と場所によって変わるものである

人気ゲームのクローン作品でも人気を集めることになる話

 「盲目の国では隻眼の者が王となる」という話を聞いたことがあるのだが、つまるところ結論はそれだ。

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『ApocZ』ゲーム画面

 先日、Xbox360のインディーズゲーム(Xbox Live インディーズゲーム)で配信されている『ApocZ』という作品を遊んだ。オンラインでゾンビだらけの街をサバイバルするF・TPS(一・三人称視点シューティング)なのだが、これはPCで人気の『DayZ』という作品を真似たものである。

 はっきり言うと内容も劣化『DayZ』であり、本家を遊んでいなくとも物足りない部分が多い。おそらく本作がパソコンで出たとしたら、割とクソだのミソだのと言われるだろう。

○ Xbox360にもゾンビ・サバイバルFPS『DayZ』のクローンが登場したが、人もいなけりゃゾンビもいねえ! 『ApocZ』
http://hakotossdm.blog42.fc2.com/blog-entry-1749.html

 しかしながら本作、高く評価を受けることもありえなくもない。リリース直後にネットワーク関連の大きな問題を抱えているのは痛すぎるが、そこをすぐに直して宣伝もできればウケることだろう。なぜかというと、このゲームができるのは、パソコンからではなくXbox360からだからだ。

Xbox360では大人気でも、パソコンではボロクソ評価なゲーム

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『CastleMiner Z』ゲーム画面

 さて、同じくXbox Live インディーズゲームで100万本以上も売れた『CastleMiner Z』というゲームがある。これはパソコンで大人気の『Minecraft』を真似て、銃でドラゴンなんかと戦う要素を付け足した作品だ。

 かなりの本数が売れていることからわかるように、Xbox360では大人気のゲームである。その人気のあまり、ふだんはスルーされがちなXbox Live インディーズゲームの作品ながら、珍しくファミ通や各メディアでも取り上げられていた。

○ 【帰ってきた『マインクラフト』珍物件探訪】番外編:驚愕のインディーズゲーム『Castle Miner Z』前編 - ファミ通.com
http://www.famitsu.com/news/201211/14022157.html

 ところで本作、移植となるパソコン版もリリースされている。そちらでの評価はどうかというと、割とボロクソなわけだ。


 ユーザースコアが10点中2点なのもさることながら、「こんなものを遊ぶなら、本家で似たようなMOD(拡張データ)をダウンロードしたほうがいい」だとか「『Minecraft』を買え」などとまで言われている。まるでケツを拭いた紙に対して真剣に怒っているかのようである。

 なぜ同じ作品でも評価が変わるのかといえば、遊ぶ人と場の条件が違うからである。無論、価格の違い(Xbox360版のほうが安い)など差もあるのだが、この件に関しては環境の違いが大きいだろう。

なぜ『CastleMiner Z』はXbox360で評価されたか

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『Minecraft: Xbox 360 Edition』ゲーム画面

 そもそもXbox360で『Minecraft』が登場したのは2012年5月で、価格は2000円である。一方『CastleMiner Z』は2011年11月の段階で配信されていたうえ、価格は100円だったのだ。本来ならば手に入らない時期に、極めて安いものが出たとなれば、これは大きなアドバンテージだろう。

 当然ながら100万本も売れたのはそれだけでなく、デベロッパの宣伝が特にうまかったというのが大きい。しかも売り込んだ相手は、ゲームの質についてあまり疑問を持たない人々であった。なので、本家と比較されることもなく、100円という安価な部分がより大きな意味を持ったのだ。

 一方、パソコン版『CastleMiner Z』はXbox360版よりかなり遅れて出たうえ、そもそも本家『Minecraft』など浸透しきった後に出たのだ。更にプレイヤーたちもおそらくはコアゲーマーと呼ばれるような人たちであり、そもそも売る相手を間違えたといえる。

そしてたどり着く極めて当然な結論

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『ApocZ』ゲーム画面

 さて、話を最初の『ApocZ』に戻そう。これはパソコンで人気なゲームの劣化版と言える。しかし出ているのはXbox360であり、価格も安価となっている。いくつか問題点は残っているが、それさえクリアできれば人気が出てもおかしくないというのは、わかってもらえただろうか?

 多くの人はゲームを買う際、レビューやその点数を見て“このゲームが面白いか否か”と判断するわけだが、評価とはその背後にあるものを含めて考える必要がある。評価そのものだけが大事なのでなく、なぜそういう評価を受けたのかというところにも意味があるのではないか。

 例えば、テストで100点を取れたから必ず素晴らしいのではなく、平均点やテストの内容によってその価値が変わるようなものだ。あるいは別の例えにすると、盲目の国では隻眼が偉大だが、両方の目が見えている人たちからすると隻眼の王は鼻で笑われるかもしれない。しかし、それでも王が王であることもまた事実だ。
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もしもマシンが作れたら、効率化してすべてを台無しにしてしまうだろう 『バンジョーとカズーイの大冒険 ガレージ大作戦』

無料だからというのもあるが、クリアするだけで精一杯だった

 もしもピアノが弾けたなら、もしも一流の文章が書けたなら、もしも金が腐るほどあったら……。しかし重要なのはそこではなく、思いを形にすることである。

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大空を行くレース・チャレンジは、正直なところ疲れが貯まった

 さて、先日Xbox Liveで無料配信されていた『バンジョーとカズーイの大冒険 ガレージ大作戦』をクリアしたのだが、最初はよかったものの終わるころには頬がこけそうだった。

○ 【Games with Gold】2014年3月上旬の無料ゲームは、あのクマとトリが8年ぶりにマシン作りの仕事をする! 『バンジョーとカズーイの大冒険 ガレージ大作戦』
http://hakotossdm.blog42.fc2.com/blog-entry-1736.html

 このゲームは自由に乗り物を作り、各地にあるレースやモノ集めなどのチャレンジをクリアしていくゲームである。また箱庭ゲームとしての側面もあり、パーツや音符(金に相当するもの)を収集するという要素も存在している。

 してつらかった原因が何かというと、それは前述のように、僕がどんなマシンを作りたいかなどという考えが一切なかったからなのだろう。

使う気がなければ道具なんて無意味だ

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僕がはじめて作ったマシン(当然のようにクソだった)

 本作はさまざまなチャレンジが用意されているが、大きく分けるとレース・運搬・敵の破壊の3種類に分類できる。そのため単にクリアするだけなら割と単純で、重要なのはいかにひねったマシンでお題をクリアするかというところなのだろう。

 たとえばナッツを運ぶチャレンジであれば、でかいマシンで収集器を壊してそれを逆にナッツのほうへ運んでいったり、レースであれば道を無視できるようなマシンを作っていったほうがよい。選択肢が多いのだから、馬鹿正直にお題をクリアするのではなく、頭を捻ったほうが楽しいのだ。こうなると、選択肢が増えるパーツ集めも楽しくなるに違いない。

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パーツが欲しくなければただ面倒臭いドタンバたうんの探索

 ただし、何を作るかを考えられない人もいるわけで、そういった人のためにはあらかじめ設計図が用意されている。それに少し手を加えるだけで大方のチャレンジがクリアできるわけだが、それをやってもあまり面白くはない。

 マシンの動力を強化すればレースは簡単になるが、ただ足の遅い相手をからかう作業にもなる。効率的にものを運べるマシンを作れば便利だが、それは退屈な仕事か何かではないのか。こうなるとゲームプレイは楽しくもなくなるわけで、作るべきはそういうマシンではないのだ。

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マシン固定のチャレンジがあるのも微妙な気がする

 はじめから考えやアイデアとでも呼ぶべきものがあるからこそ、作るのが楽しくなる。つまり、“もしもマシンが作れたのならば”というのは正しくなく、なんらかの案があるからこそマシンなどを作る技術が後からついてくるのだろう。
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